<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<feed xmlns="http://www.w3.org/2005/Atom">
    <title>ＭＲＴ本部オフィシャルウェブサイト ～ＭＲＴ仙骨瞬間無痛良法（仙骨療法）の専門治療院～</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://mrt-jp.com/" />
    <link rel="self" type="application/atom+xml" href="http://mrt-jp.com/atom.xml" />
    <id>tag:mrt-jp.com,2010-07-16://1</id>
    <updated>2012-01-13T07:29:40Z</updated>
    <subtitle>ＭＲＴは、微弱な磁気で人体の中心に位置する『仙骨』のわずかな変位を正確に読み取り、瞬間・無痛に調整する元祖仙骨療法です。1981年の創設以来30年以上にわたり、全国14ヶ所のＭＲＴで延べ300万人以上の実績があります。</subtitle>
    <generator uri="http://www.sixapart.com/movabletype/">Movable Type Pro 5.02</generator>

<entry>
    <title>四年間の引きこもり状態から『霊止乃道』の御著書に出会い、ＭＲＴ治良を受けることで人生が一転！　二ヵ月後には就職して一人暮らしができるようになる！ - 体験談のご紹介</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://mrt-jp.com/experience/post-492.html" />
    <id>tag:mrt-jp.com,2012:/experience//5.645</id>

    <published>2012-01-13T07:16:32Z</published>
    <updated>2012-01-13T07:29:40Z</updated>

    <summary>◆目の前に苦手な人が付いて回る高校三年間 　高校生になるまでの私は、いわゆる普通...</summary>
    <author>
        <name>アイディデザイン</name>
        <uri>http://mrt-jp.com/profile1.html</uri>
    </author>
    
        <category term="ＭＲＴ愛媛" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="人間不信" label="人間不信" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="就職" label="就職" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="引きこもり" label="引きこもり" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="脱毛症" label="脱毛症" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://mrt-jp.com/experience/">
        <![CDATA[<p>◆目の前に苦手な人が付いて回る高校三年間</p>
<p>　高校生になるまでの私は、いわゆる普通の子供時代を過ごしてきました。学校や下校後も近所の友達とよく遊び、よくケンカもしました。<br />　高校生になると、一人だけ仲良くなれない子が同じクラスになり、その後、隣の席になったことを切っ掛けに、仲良くなろうと自分から積極的に声を掛けていきましたが、会話が続かなくなり「この子は苦手だな...」と思い始め、隣の席に座っていてもほとんど話すこともないままに、一年間が過ぎていきました。<br />　高校二年生になるとクラス替えがありましたが、どういうわけかまた苦手な子と同じクラスになってしまっただけではなく、さらに苦手な子が増えてしまいました。仲良くなろうと努力しましたが空回りばかりで、学校を辞めたいと何度も思っていました。</p>
<p><br />◆好きな音楽に打ち込んだ短大生活も、卒業間際で挫折、中退することに</p>
<p>　高校三年間での苦い思い出を繰り返したくないと思い、大学では自分の好きな音楽を専攻して自分のやりたいことをしようと決めました。人間関係もあまり気にならずに、好きなギターに打ち込みましたが、卒業間際になると、試験や課題が山積みとなり、順調に進んでいた人間関係も些細なことが切っ掛けで友人との仲がもつれ、自分の存在を否定された気持ちとなり、大きな挫折を味わいました。<br />　また、練習中に指にケガをしたことで、卒業制作がうまくいかずに自分一人が取り残されたような気分になり、そのストレスから髪が抜けていって脱毛症となり、人の目が怖くなり、卒業間際で短大を中退することとなってしまいました。</p>
<p><br />◆人間不信で、一歩も外出できなくなった四年間</p>
<p>　一九歳で大学を中退してからも、誰にも会いたくないという思いが更に強くなり、外で人に会うのが怖くて外出ができなくなっていました。家族と話すことにも嫌悪感が生まれてしまい、部屋に引きこもる日々を送っていました。しかし、人に会わず、部屋にいても精神的に安定することも、脱毛が良くなることもなく、顔の肌荒れもひどくなっていきました。「このままでは、廃人になってしまう。何とか自分を取り戻したい」と、以前より興味があり購入していた自己啓発の本や精神世界系の本を読みあさりました。<br />　以前の自分は、そのような本を読むと、気持ちが安定し、もっと向上しようという気持ちが湧いていましたが、いくら本を読んでも全く動けない自分がいて、出口が見えずに一歩も前に進めない状態が四年間続きました。<br />　親は、そんな私のことをとても心配して、自宅でもできる内職の仕事を薦めてくれ、母親と一緒に少しずつ家で仕事をするようになっていきました。</p>
<p><br />◆『霊止乃道』『陰陽の法則』『中真感覚』の御著書に導かれるままＭＲＴへ</p>
<p>　そんなある日、久しぶりに本屋に行くと、『霊止乃道』という文字がバーンと目に飛び込んできました。パラパラと本をめくってみると、初めて見る「フォトンベルト」という言葉が気になり、すぐに購入して読みました。初めて知る内容ばかりでしたが、読んでいる途中で「これは本物だ」と強く感じたことを覚えています。今までにもいろいろな本は読んでいましたが、師尚の御言葉は他の本とは違い、これほど心を動かされた本はありませんでした。自分が知りたいと思うことが御著書の中にはぎっしり詰まっていました。<br />　御著書の中では『陰陽』について「これについてはいずれ陰陽の法則として明らかにしなければならない」と書かれており「もっと知りたい」と思い、インターネットで検索をして発売を確認してすぐに『陰陽の法則』の御著書も購入しました。御著書を手に取ったときは「やっと出会えた」と読む前から心が躍り、一気に読み終えた後、自分の中の何かが大きく変わったことをハッキリと覚えています。<br />　御著書の中の「中真感覚」の言葉が懐かしく感じられ、自分の本棚を探してみるとサンマ―ク出版の『中心感覚』の御著書が出てきました。数年前に購入して読んでいた本ではありましたが、師尚の御著書であることをすぐに思い出せずにいたのです。改めて読み返し、「こんなにすごいことが書かれていたのかぁ...」と、気付けたうれしさが込み上げていました。『霊止乃道』『陰陽の法則』『中心感覚』の御著書を読み進むことで、「ＭＲＴ良法を受けてみたい」と強く思い、内職で得た稼ぎは少なかったのですが、すぐにＭＲＴに電話して予約をしました。</p>
<p><br />◆治良開始わずか二ヵ月で、正社員として就職できるようになる！</p>
<p>　ＭＲＴオフィスまではバスで片道三時間掛かります。脱毛が気になるのと人との接触をなるべく避けるために、帽子を深々とかぶり、ＭＲＴオフィスに向かいました。<br />師尚の御著書を読んでいましたので、ＭＲＴ治良がどんなことをするのかも知っていましたから、初めて受けたＭＲＴ治良に特別に驚くこともなく、落ち着いて受けることができました。<br />　治良後には、仙骨から全身へと波紋が広がるのを感じ、「これで良いのだ」と妙に納得をしている自分がおりました。後になって気付いたのですが、人と話すのがイヤで、四年間、ほとんど家族以外の他人とは話していませんでしたが、ＭＲＴでは、そのことを忘れているくらい全く緊張せずに、ＲＴの先生と話すことができました。<br />　そうして、一切の迷いなく自宅からＭＲＴまでバスで片道三時間掛けて、週二回の治良を続けました。両親は、民間療法では治せないと決めつけて、遠出をしてお金を掛けてＭＲＴに通うことに反対をしていました。自分が内職で稼いだお金で通うことを宣言しましたが、両親は、いつまでも続かないだろうと思っていたようです。<br />　しかし、一回目の治良から精神的に落ち着きを取り戻し、やる気が出てきている自分の変化を両親も感じてくれて、黙って見守ってくれるようになりました。<br />　その後も、先の心配をしては不安定になったり、人間関係をうまくやっていけるのだろうかと過去の苦い思い出が蘇えっては苦しい気持ちになったりしていました。そのことをＲＴの先生に話すと、逆行であること、過去の想いが出たらそれを手放すときであり、出ていく想いを自分でまた掴まないようにという話を聞き、また、そのようなときは仙骨を意識するようアドバイスをもらいました。実際に仙骨を意識すると、スーッと自分が安定して落ち着くことを実感して、師尚の御教えである人間の完全性を実感することができました。<br />　そうして、治良開始二ヵ月後、一〇回の治良を受けた頃には、就職への意欲が出てきて、すぐに正社員の仕事に就くことができました。</p>
<p><br />◆外に中真を置き、不自由をしていたことに気付く</p>
<p>　初めての就職で、何もかも真新しく新鮮に感じ、最初は仕事がこんなに楽しいものなのかと思えるくらい充実していました。しかし、慣れない作業から上司に注意されることが続き、失敗が重なり、就職してわずか二ヵ月で仕事を辞めようと思う自分がいました。<br />　そのことをＲＴの先生に話すと、「初めての作業なのだから失敗をしても当たり前であること、注意を受けるということは、教えてもらっているということなのだから、自分自身を否定されていると思わずに、できなくて当たり前と素直な気持ちで教えてもらったらよい」とのことで、失敗を悪いことと捉えていた自分に気付き、気持ちが楽になりました。<br />　またＲＴの先生より、目の前の現象から理解をしていくことが大事であるという話を聞き、今までの自分は「あれがイヤだ」「これが足りない」と外に中真を置いて何とか変えようという気持ちが強かったことに気付き、「大事なことは識ることである」と、目の前のことを理解しようとする意識に少しずつですが変わってきています。</p>
<p><br />◆『霊止乃道』への理解を深める人生を歩み出す</p>
<p>　死んでからあの世に持っていけるのは理解力だけであるとの御話が、深く中真に響きました。そうして、右もなければ左もなく、生を識るには死を識ることであり、全てが中真であり、その感覚を全身全霊で感じたいと思いました。それも頭の理解だけで終わるのではなく、霊止なる自分に出会うことをこの人生で確信できるように、これからも目の前の現象より理解を得ていきたいと思います。</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>病院通いと薬漬けの日々で不自由していた私が、ＭＲＴに通い、薬をやめ、様々な想いを捨てたときに念願の赤ちゃんを授かりました - 体験談のご紹介</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://mrt-jp.com/experience/post-491.html" />
    <id>tag:mrt-jp.com,2012:/experience//5.644</id>

    <published>2012-01-13T07:12:31Z</published>
    <updated>2012-01-13T07:15:53Z</updated>

    <summary>◆小さい頃から体調を崩しやすく、病院に行くこと、薬を飲むことは当たり前の生活だっ...</summary>
    <author>
        <name>アイディデザイン</name>
        <uri>http://mrt-jp.com/profile1.html</uri>
    </author>
    
        <category term="ＭＲＴ浜松" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="出産" label="出産" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="妊娠" label="妊娠" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="安産" label="安産" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="生理痛" label="生理痛" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://mrt-jp.com/experience/">
        <![CDATA[<p>◆小さい頃から体調を崩しやすく、病院に行くこと、薬を飲むことは当たり前の生活だった</p>
<p>　私は小さい頃から体調を崩しやすく、その度に病院に通い、処方された薬をいろいろ飲んでいて、花粉症もひどく、毎年春先になると辛い思いをしていました。<br />　中学生の頃には、ストレスが溜まると決まって胃腸の調子が悪くなり、毎日のように市販の胃腸薬を飲んでいて、更に二〇代前半の頃には肩凝り、偏頭痛、倦怠感、生理痛、冷え性、腰痛、喘息、過呼吸などの慢性的な体調不良に悩まされるようになり、病院で処方された薬を大量に飲んでいて、その当時は、とにかく症状が消えれば楽になれると思っていましたので、私にとって病院や薬はなくてはならない存在でした。<br />　ところが、二五歳を過ぎた頃から、「幼い頃から病院通いと薬漬けの日々を送ってきて、このまま歳を重ねたら私はいったいどうなるのだろうか？　将来子供を無事に産めるのだろうか？」と、漠然とした不安がよぎるようになり、そして、そのかすかな不安は、次第に「体質改善をして、体調を根本的に良くしなければならない！」との強い想いに変わっていきました。それからは、整体、酵素風呂、ゲルマニウム温浴、マッサージなど、身体に良いと聞くと何でも通い、また、精神的にも体力的にも強くなりたいと思い、総合格闘技のジムにも通いましたが、身体がアザだらけになり、辛いばかりでしたので、三ヵ月で辞めました。<br />　二七歳の頃、夫と出会い、二九歳で結婚し、当時、私は調理師として働いていましたが、結婚を機に、新しい施設を開園するための職員に選ばれて転勤しました。そこでの仕事は予想していた以上に大変で、常に手さぐり状態でしたので気持ちの余裕が全くなくなり、そんな状況でサービス残業をこなす毎日が続き、肉体的にも精神的にも疲弊してしまい、気力だけで業務をこなす日々が続いていました。</p>
<p>◆夫がＭＲＴに通っていたことで、自分もＭＲＴに通い出す</p>
<p>　そんな年の冬に、夫が仕事中にバイクで転倒し膝を骨折して、手術、入院をすることになってしまいましたが、ケガをしているはずの夫は、松葉杖でも病院の中をあちこちと軽やかに動き回り、また精神的にも落ち込むこともなく、驚くほど元気にしており、「主人はどうしてこんなに元気でいられるのだろう？」と不思議に思い、付き添っている私のほうが仕事と病院通いの日々で疲れきっていました。<br />　夫は結婚する前からＭＲＴに通っていましたので、退院後も「松葉杖でＭＲＴに通いたい」と言い、私は「松葉杖で出歩いて、また転倒でもしたらどうするの？　危ないからやめて」と言いましたが、夫の気持ちは変わらず、松葉杖で電車に乗ってＭＲＴに通い続けました。その頃の私には、そんな夫の行動を理解することができませんでした。<br />　そうしている間にも私は私で自分の体質改善に努めていましたが、結婚して三年が過ぎても子供が授からないことで、「周囲の人は結婚したらすぐ子供が授かるのにどうして私だけ授からないのか...？　年齢的にもうあまり時間がない...。　私の身体に何か原因があるのか...？」などと思いあぐねながら、子供がなかなか授からない焦りと不安の中、自分を責め続ける日々を過ごしていました。<br />　そんな頃、夫が持ち帰った『月刊ＭＲＴ』の体験談を読んでいると、「ＭＲＴに通い子供を授かった」という方の体験談が載っており、「私もＭＲＴに行ってみようかなあ」という気持ちが湧き上がってきて、そのことを夫に話したところ、「自分で本当に通いたくて行くならいいよ」ということになり、ＭＲＴに連れて行ってもらいました。</p>
<p>◆ＭＲＴ治良を受けてから、身体も心も変化し、自分を中真とした生活の大切さを理解する</p>
<p>　初めてＭＲＴ治良を受けた日の体調は、生理痛があり、身体も重く感じていましたが、治良後は生理痛がなくなり、身体が軽く、歩くスピードも速くなったように感じました。また、左手首が痛くなりましたが、夫から「逆行が起きる」と聞いていたので不安になることもなく、中学生の頃にテニスで手首を痛めたことを思い出し、そして、たった一回の治良でこれだけ身体に変化が現れるのならＭＲＴに続けて通ってみようと思いました。<br />　初回治良から半月後、目が開かなくなるほどの目ヤニが一週間毎日出続け、更にその一ヵ月後には今までにないほどの激しい嘔吐と下痢の症状が一週間続きましたが、このときは逆行が起きているとわかっていたので、今までのように薬に頼ろうとする気持ちにはなりませんでした。症状が治まると身体の中の悪いものが全て出切ったように感じ、身体も軽くなり、気持ちもスッキリとしました。<br />　その頃は転勤して三年目を迎えていましたが、相変わらずハードな仕事で毎日身体は疲れきっていて、家に帰っても家事をこなすこともできず、さらに週一回の休みの日も疲れ果ててしまって、身体を動かすこともできず、「どうして私がこんな目に遭うのか...」と思い、毎日辛くて泣けて仕方がなく、そのために心に全く余裕が持てず、転勤になったことを後悔し続け、私を異動させた上司に嫌悪感を抱いていました。当時、私の口から出る言葉は仕事の愚痴ばかりで、辛い気持ちをいつもＲＴの先生に聞いて頂きましたが、「今、起きている出来事は全て自分に原因があるのだから、自分をもっと大事にして、自分を中真とした生活にしていくといいですよ」とお話し頂きました。<br />　改めて自分の今までの生活を振り返ってみると「人に嫌われたくない」「人からどう思われているのか」と、そればかりを気にして無理な仕事を引き受けたり、自分の気持ちや意見を抑えて人に合わせたり、身体が疲れていても無理をして仕事に行ったりと、そんな、自分以外に中真がある生活をしていたことに気が付きました。<br />　それからは自分にできない仕事は引き受けないようにしたり、自分の意見や気持ちを相手に素直に伝えるようにしたところ、上司から「貴重な意見をありがとう。ほかにも気になることは話してください。身体がきついときはお休みして大丈夫です」と思ってもみなかった言葉を掛けてもらい、自分でも驚きました。それから人間関係も良くなり、自分から積極的に人に話し掛けたりすることができるようになり、以前と比べて人と話をするのが楽しくなりました。<br />　そして、身体がきついときには無理をせず仕事を休むようにして、自分の身体を注意深く見るようになりました。今までは、他の人がこなしているのだから私にも同じようにできるはずだと思って仕事をしていましたが、私にとっては無理があったので、それが身体に症状として出ていたのだと気が付き、症状を出すことで仙骨が私の身体を守ろうとしていたことがわかり、自分に対して感謝の気持ちが沸いてきました。</p>
<p>◆夫婦共にＭＲＴに通い、中真感覚を学ぶ生活を過ごす</p>
<p>　ＭＲＴに通い始めてから「とにかくＭＲＴには毎週通おう、中真の仙骨を調え、理解を深めて、自分自身が変わらなければいけないときが来ている」という強い想いが自然と沸いてきて、『霊止乃道』『陰陽の法則』の御本も拝読させて頂きました。<br />　二〇一〇年三月から夫と一緒に「中真感覚の学び」に参加し、中真感覚を体感し、より一層中真感覚を意識した生活をするようになり、家でも夫婦で中真感覚の稽古を行ったり、ニュースや身近な出来事を夫と二人で種観霊して意見を出し合ったり、ＭＲＴに行ってきた話をしたり、『月刊ＭＲＴ』を読んだ感想をお互いに話し合ったりと、夫と一緒にＭＲＴに通うようになってから、生活がＭＲＴ中真に変わっていきました。細かい部分では料理の味付けが二人とも「これだ！」とする感覚が合うようになってきたり、生活の中に二人が「心地良い」と感じることが次第に増えて、私がＭＲＴに通う前は、お互いの気持ちや考え方がうまく伝わらず、ケンカになることもありましたが、二人でＭＲＴに通うようになり、夫婦の関係が大きく変化していきました。<br />　ＭＲＴに通い始めて二年が経ち、自分を中真とした生活をするようになり、仕事、人間関係、夫婦の関係、身体的にも体調が改善され、生きるのが心地良く感じ、抱え込んでいた様々な想いを捨てたことで気持ちが楽になり、悩むこともなくなり、中真感覚で行動できるようになりました。<br />　子供についても、以前は夫婦でつくるものだと考えていましたが、『陰陽の法則』を拝読させて頂き、子供はつくるのではなく授かるもので、妊娠は神の領域であることを識り、自然に「お任せしよう」と思えたとき、想いを持っていたことで自分が不自由していたことに気が付いて、そして、それまでの想いを捨てることができて、とても楽になりました。</p>
<p>◆念願の赤ちゃんを超安産で授かる</p>
<p>　身体にも心にも余裕が持てるようになって、結婚から五年目に、ようやく念願の赤ちゃんを授かったとわかったときには、夫と手を取り合い、うれしくてその場で号泣してしまいました。<br />　赤ちゃんとのことでは、妊娠三ヵ月と判明したある雨の日に、地下道の階段を下っているときに「お母さん、足下に気をつけてね」と、お腹の赤ちゃんの感情や声が感覚的に伝わってきて、赤ちゃんの話し方が「僕ね...」と言っているように感じたので、授かったのは男の子だとわかりました。その後、妊娠五ヵ月が過ぎて夫が帰る時間になると、お腹の中でバタバタと動き喜んでいるのがわかったり、私からも「今日ＭＲＴに行くよ」「天気が良くてとても気持ちがいいよ」などと、毎日赤ちゃんに話し掛けて、赤ちゃんだからわからないだろう、産まれていないからわからないだろうという想いはなく、話のわかる一人の人間として、お腹の赤ちゃんと対等に接していきました。妊娠中も毎週ＭＲＴに通ったおかげで腰痛や便秘といった症状もなく、妊娠七ヵ月目まで立ち仕事をこなすことができ、出産に専念するために、これまで勤めてきた会社を退職し、退職後は毎日四キロのウォーキングと週一回のヨガで身体を動かし、周囲の人も驚くほど健康に過ごすことができました。<br />　母子共に順調に経過し、二〇一一年七月一八日に夫の立ち会いの中、三四七〇グラムの元気な男の子が超安産で産まれ、赤ちゃんは肌の色もきれいで穏やかな顔をしていて、泣き声もとても大きく、元気いっぱいでした。また、ＭＲＴに通っていたおかげで母体の回復も早く、退院して五日目からＭＲＴに通うことを再開し、産後数週間で妊娠前の洋服が着られるようになりました。<br />　私の傍らでスヤスヤと眠る我が子の顔を見ながら、子供が授かることは決まっていたことなのでしょうが、ＭＲＴに通っていなければ、このときは訪れなかったかもしれないと思い、夫とＭＲＴに巡り会えたことに感謝します。これからも夫と子供と共に、ＭＲＴに通い続けたいと思います。</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>『霊止乃道』の御本に出会い、命を懸けて霊止に孵ろうしたときから自分が変わり、そして家族が大きく変わり始めた！ - 体験談のご紹介</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://mrt-jp.com/experience/post-490.html" />
    <id>tag:mrt-jp.com,2012:/experience//5.643</id>

    <published>2012-01-13T07:09:26Z</published>
    <updated>2012-01-13T07:27:02Z</updated>

    <summary>◆息子と娘の幸せこそが自分の幸せだと信じていた大きな誤算、そして家族の崩壊 　私...</summary>
    <author>
        <name>アイディデザイン</name>
        <uri>http://mrt-jp.com/profile1.html</uri>
    </author>
    
        <category term="ＭＲＴ博多" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="家族の変化" label="家族の変化" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="精神疾患" label="精神疾患" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="霊止乃道" label="霊止乃道" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://mrt-jp.com/experience/">
        <![CDATA[<p>◆息子と娘の幸せこそが自分の幸せだと信じていた大きな誤算、そして家族の崩壊</p>
<p>　私は二一歳で結婚し、三人の子供に恵まれました。結婚当初、主人は真面目に働くサラリーマンでしたが、仕事や職場での人間関係のストレスからか、次第にアルコールに溺れるようになっていきました。<br />　子供達がまだ幼い頃、「子供の幸せこそが、私の幸せ」と信じていた私の願いは脆くも崩れ去り、アル中の主人が辺りかまわずわめき散らすという環境の中で、子供達三人を育てていました。<br />　その後、主人は職場のストレスから逃れるようにして四〇歳で脱サラし、事業を立ち上げましたが、その後も主人のアルコール中毒は深刻さを増していくばかりでした。　<br />　時は流れ、私が五六歳のとき、三〇歳になった息子も主人にならい、一〇年ほど勤めた会社を辞めて事業を立ち上げましたが、それからわずか二年後の二〇〇〇年に、その会社は倒産しました。<br />　息子は倒産に伴う借金を返すために就職し、もらった給料の全てを返済に充てていましたが、なぜか勤める会社が次から次へと倒産に追い込まれ、収入を得られなくなったことで返済の目途が立たなくなり、困り果てた息子は一攫千金を狙って、ギャンブルに手を染めるようになっていました。<br />　悪いことは続くもので、息子の会社が倒産した翌年（二〇〇一年）には主人の会社までもが倒産に追い込まれました。そのとき既に五七歳になっていた主人もサラリーマンの生活に戻りましたが、間もなくリストラに遭い、職を失いました。そして度重なる不運の原因はアルコールに溺れる自分にあると思ったのか、主人はその後、自力でアルコール中毒から抜け出しました。<br />　一方、ギャンブルに溺れて自分を見失っていった息子は、ついには社会生活を営めなくなり、今から五年前（二〇〇六年）に統合失調症と診断され、家に籠るようになりました。<br />　心を患っていたのは息子だけではありませんでした。既に嫁いでいる娘二人のうちの一人も看護師の職にありながらもうつ病と診断され、浴びるほどの量の薬を毎日飲みながら仕事を続けていました。「死にたい」と娘が訴えてくる度に、私はどうしてやることもできない自分を責めてばかりいました。<br />　子供達の幸せが私の幸せどころか、皮肉にも三人の子供のうち二人までもが精神疾患を患い、耐えがたいこの現実から何とかして逃れたいともがけばもがくほどに、楽になるどころか不自由さは増していくばかりでした。<br />　逃れるのが無理であれば、何とかしてこの苛酷な現実を変える方法を見出そうと、様々な自己啓発セミナーに参加するなどしておりましたが、その頃から、心の使い方などではなく、自分自身の魂に眼を向けて生きていきたいと願う自分がいることに、おぼろげながらも気付き始めていました。</p>
<p>◆長い間探し求めていたものに、ようやく巡り会えた</p>
<p>　今年三月初旬のことでした。<br />　その日、私は何かに導かれるようにして、県立図書館に足を運んでいました。<br />　大きな館内に入って間もなく、紫色の背表紙に記された『霊止乃道』の文字に目を奪われ、中に何が書かれているかを確かめるでもなくその一冊を借りて帰りました。<br />　家に持ち帰った御本を夢中で読み終えた私は、長い間探し求めていたものにようやく巡り会えた感慨にしばし浸っていました。<br />　それから数日後、ＭＲＴ博多を目指し、私は一人、長崎から博多に向かうバスに飛び乗っていました。<br />　私が初めてＭＲＴ治良を受けましたのは、日本中を震撼とさせた東日本大震災の翌日（三月一二日）のことであり、その大きな節目に、初めて仙骨の治良を受けることになったのも決して偶然ではないと強く感じていました。そしてその日から、土曜日の午前中の仕事を終えた後、往復七時間を掛けて長崎からＭＲＴ博多に通う生活が始まりました。<br />　『霊止乃道』の御本を読んでＭＲＴ治良を受けるに至った私でしたが、その後も繰り返し御本を読み返しながら、治良を受けて参りました。</p>
<p>◆家族の変化を以って、全ては自分の現れであることを知る</p>
<p>　私が治良を受け始めてまだ一ヵ月が経つか経たない頃、ギャンブル依存症になっている息子が寂しげな顔をしながら「お金を貸してほしいのだけれども」と言ってきました。それまでは、息子がお金の無心に来る度に、返してもらえる当てのないお金を少しずつ工面しては渡しておりました。<br />　ところがその日、私の口を衝いて出てきたのは、「全部持っていけー、お母さんを殺す気か！」という思いもかけない言葉でした。<br />　それに対して、「お母さんは、何も悪くない」と言う息子の言葉を聞きつつ、これまで良い妻、良い母、良い人を演じて生きてきた自分の人生が浮き彫りになって観えてきました。そして、これで良いのだと納得している自分がいました。<br />　不思議なことに、それっきり「お金を貸してほしい」と息子が言ってくることはなくなりました。<br />　治良を受け始めて四ヵ月ほどが経った七月頃より、御本に書かれてある通りに、息子のことも娘のことも、そして主人のことも、過去に刷り込んだ映像が流れているように見え始め、息子や娘の精神疾患を何とかして治したいと願っていた想いから解放されていきました。<br />　それから更に約一ヵ月が過ぎた八月のある日、「お母さん、最近変わってきたね。何か学びを変えた？」と息子が私に聞いてきたことがありました。私が以前から自己啓発のセミナーなどに通っていたことを知ってはいても、ＭＲＴに通っていることを知らない息子からそのようなことを聞かれたことに驚きました。<br />　「お母さんは、どんなふうに変わった？」と聞きましたところ、息子は、「今までは、誰かの教えを頭で考えながら話していたけれども、今は、心から話しているように聞こえてくるから...」と答えました。それを聞いて、見失なっていた私の中真が、元に戻りつつあることを感じていました。<br />　ちょうどその頃、以前よりうつ病と診断されていた娘は、知人の紹介で良い医師に巡り会うことができ、その医師の指示により、それまで浴びるほど飲んでいた薬の量が激減しました。<br />　そして九月初め頃、その娘から「私を生んでくれてありがとう。以前は死にたいと言って、お母さんにずいぶん悲しい想いをさせてごめんなさい」という電話をもらい、涙しました。理解は自分のみならず、自分を取り巻く周りにも大きく波及することを目の当たりにさせて頂いております。</p>
<p>◆霊止に孵るため、この命を懸ける</p>
<p>　その後も大波小波が打ち寄せてきては、その度に、「この苦しみは、どこから来るのか？」と自分の中真にいつも問いかけていました。<br />　そんなある日、勤務帰りのバスの中でふと、「日々の現象の波に翻弄されているけれども、それもこれも自分の中で揺れ動く波を見ているに過ぎないのだ」と感じたときから、壁を乗り越えようなどといった気負いもなくなりました。乗り越えることができなければ、下をくぐればよいのだという気持ちになり、肩の力が抜けました。<br />　そして今日に至るまでの波乱万丈のこの人生こそ、私を霊止に孵すために仕組まれた一大プロジェクトであったことに、はたと気付き、霊止に孵るためにこの命を懸けることを自分と約束致しました。<br />　更に、良い妻、良い母、良い人を演じ続けてきたお面が剥がれ落ち、そのままの素の自分で良いということがようやくわかりかけてきた私ですが、この世は理解を得るため、神を識るためにこそあるのだということを今生で識り得たことに、深く感謝致しております。そしてこれからも、神なる自分との約束を果たすべく、理解を重ねて参ります。</p>
<p>　最後になりましたが、主人が先日、何を思ったか、「今までいろんなことがあったけれども、今、自分の蒔いた種を自分で刈り取っているということがよくわかる。だから、人を恨んだりする気持ちは一切ない。そして後は死を待つばかり」と私に申しました。<br />　師尚より「越冬するために冬眠する動物がいるのと同じように、大きく次元上昇しようとしている地球に棲む私たちもまた、そのときを迎えるため、冬眠に入る準備を調えていかなければならない」との御話を頂いておりますので、来年二〇一二年の一二月二二日に向けて、一緒に冬眠に入る準備を整えていこうと思っております。</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>劣等感の塊で人生がとても不自由だらけだった自分がＭＲＴに出会い、母の死を切っ掛けに霊止乃道を歩み始め、死の恐怖が消えてきた - 体験談のご紹介</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://mrt-jp.com/experience/post-489.html" />
    <id>tag:mrt-jp.com,2012:/experience//5.642</id>

    <published>2012-01-13T07:01:34Z</published>
    <updated>2012-01-13T07:23:50Z</updated>

    <summary>◆幼稚園生の頃から他人と比べ、劣等感を強く抱くようになる 　今から約四〇年も前の...</summary>
    <author>
        <name>アイディデザイン</name>
        <uri>http://mrt-jp.com/profile1.html</uri>
    </author>
    
        <category term="ＭＲＴ池袋" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="劣等感" label="劣等感" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="死の恐怖" label="死の恐怖" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="閉所恐怖症" label="閉所恐怖症" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="霊止乃道" label="霊止乃道" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://mrt-jp.com/experience/">
        <![CDATA[<p>◆幼稚園生の頃から他人と比べ、劣等感を強く抱くようになる</p>
<p>　今から約四〇年も前のことになりますが、私がまだ五歳頃、自宅近くの公園に三輪車に乗ってよく遊びに行っていました。ところが遊ぶのに夢中になり、三輪車を公園に置いたまま家に帰ってしまったことが何度もあり、その度に母親にきつく叱られていました。その叱られた記憶が心の奥深くに強く残ってしまい、「自分には欠陥があって物事がきちんとできない駄目な人間なのだ」と思い込むようになりました。当時、幼稚園に行っても、クラスメートのように周りの同じ年の子に声を掛けて友達をつくることができずに、いつも独り寂しく絵を描いていたことが蘇ってきます。この頃から他人と自分を比較するようになり、同じ年の子と比べて、自分は何もかも劣るのだと強く想うようになってしまいました。さらに、極度に痩せていることや髪の毛が薄いことが既に中学時代から気になり出していました。高校生になってからも、劣等感から何もかも自信をなくしてしまい、同級生との話もうまくできませんでした。そんな高校生活の中で、唯一、一年生のとき、クラスメートに声をかけられ二人の友人ができました。二人とも、私とは真逆の性格で何でもできて、明るく行動的なタイプでしたが、その友人に対してまでも自分との違いを比較してしまい、やはり自分は全てに劣っていて、駄目な人間なんだといつも自己嫌悪に陥っていました。</p>
<p>◆『中心感覚を磨け』の御著書に出会い、ＭＲＴ治良を受け、ＭＲＴ中心学校に入学する</p>
<p>　高校を卒業して仕事を始めるようになってから、精神世界に興味を持ち始め、その分野の本を探して読んだり、自己啓発セミナーに通ったりするようになり、その頃本屋で手にした本が、『中心感覚を磨け』の御著書でした。読み進むうちにそれまで読んできた本とは全く違うと感じ、その内容の面白さにどんどん引き込まれていきました。そしてもっと識りたいと願うようになり、一九九二年に、当時本部のあったＭＲＴ恵比寿でＭＲＴ治良を受けました。初めてのＭＲＴ治良を受けた後は、とにかくとても眠くなったことが印象に残っています。<br />　それから毎週一回の治良を受け続けるうちに、強い劣等感を抱えていながら、その不自由な想いを人に話すことができない自分にどうしようもないもどかしさを感じ、耐えられなくなり、何とかして、この想いを吐き出したいと強く願うようになりました。そんなとき、ＭＲＴ中心学校の入学案内をＭＲＴオフィスで見て、「中心学校に入りたい。ここなら今の自分を全てさらけ出して生きていける」と強く観じました。そして一九九三年の四月に、中心学校四期生として入学させて頂きました。<br />　ＭＲＴ中心学校での最初の講義で、「自分のことを話す」という時間がありました。そこで「自分には幼少の頃から非常に強い劣等感があること」を生まれて初めて人前で話したのです。これまで、絶対に人には言えないと想っていたことでしたが、それまで自分が想像していたほど大したことではなく、人に話しても自分が困るようなことは何も起こらないことに気付きました。そして劣等感というものは外から与えられたものではなく、自分自身が作り出したものであり、それによって不自由してしまっていたことに気付くことができました。<br />　生きることに自信を失くしていた私は、この気付きによって、自分の暗黒の人生に光明を見出すことができたのです。</p>
<p>◆ＭＲＴから遠ざかるが、その後、母の死を通して自分自身の死の理解が足りないことを識る</p>
<p>　ＭＲＴ中心学校卒業後、八ヵ月間ＲＴ研修に入った後、ＭＲＴを離れ、携帯電話販売店に勤め、ＭＲＴ治良には行かなくなりました。仕事を始めた職場では、その仲間とも話は合わなかったのですが、仕方なしに同僚に話を合わせたりしているうちに、段々自分自身を隠していくようになっていきました。そうして、本当の自分自身の姿を出せないストレスを次第に溜め込んで、何度も仕事を辞めようとしましたが、その都度上司から説得され、辞められませんでした。<br />　そしてＭＲＴを離れてから一〇年ほど経った頃、母親が乳癌の手術を受けました。その後、肺に転移して肺に水がどんどん溜まり、まともに呼吸ができなくなり、川で溺れかけて息ができなくなっている人のように呼吸困難で非常に苦しむようになりました。<br />その苦しむ母の姿を見かねて、私から何度かＭＲＴ治良を薦めましたが、本人がどうしてもＭＲＴに行くことを拒み続け、連れて行くことはできませんでした。そして亡くなる少し前、病室で自分と二人きりのときに、母親が突然息ができなくなり、「苦しい！　死んじゃう！」と言って自分にしがみついてきました。しがみつかれながらも、母親が苦しみもがく姿をただ茫然と見ていることしかできず、一言も語りかけることができませんでした。ＭＲＴ中心学校とその後のＲＴ研修で間練んできたことを何も活かせず、頭の中で理解してわかっているつもりになっていただけの生悟りの自分に愕然としました。<br />　そして母親と自分は同じだと気付きました。しがみついたときの母の恐怖心が自分にもよくわかりました。自分は閉じ込められて息ができなくなることに幼少の頃より強い恐怖心があり、実際に閉じ込められたことはないのですが、「閉じ込められたらどうしよう」と想像しただけでも息が苦しくなるのです。二〇一〇年八月に南米チリの鉱山で作業員が地下七〇〇メートルの避難所に閉じ込められた落盤事故のニュースを聞いたときも、たまらず部屋の窓を開けて顔を外に出し、「ハァハァ」と息をしてしまいました。その後も何とかして克服しようとしましたが、治ることはありませんでした。今生の中に原因は見当たらず、前世で自分は閉ざされた世界に押し込められて息ができなくなり、とても苦しみながら死んだことを自分の魂に刻んでいるのだと観じていました。</p>
<p>◆『霊止乃道』の御著書に出会って再びＭＲＴ治良を受け始めた</p>
<p>　それ以来、ＭＲＴを強く意識するようになりました。そしてある日、師尚の新しい御著書『霊止乃道』が発刊されたことをインターネットで知り、本屋で購入し一気に読ませて頂きました。<br />　特に「人生は神を識るためにある」と人生の目的がはっきりと書かれていたことが自分の中真に響きました。ＭＲＴを離れてから、苦しみもがいて暗闇の中をさまよっていた人生に、一筋のはっきりとした確かな光が差し込んだようでした。これは、もう迷っている場合ではないと思い、それからは、『霊止乃道』の御著書に書かれてあります※御眞言を毎日唱え、押し入れにしまってあった師尚の御著書、中心学校のときの資料、『月刊ＭＲＴ』などを全て読み直し、部屋からいらないものを捨てていきました。数ヵ月掛けてスッキリさせて、二〇〇九年七月に再びＭＲＴ池袋にて治良を受け始め、それからしばらくして、なかなか辞めることができなかった仕事を辞めました。</p>
<p>◆兄の仕事を手伝う中で、閉所での恐怖が消えて死の理解が変わってきたことに気付く</p>
<p>　そして最近、兄の仕事の手伝いで、暖房用ボイラー内部という暗くて狭い場所に入って清掃作業をすることになりました。閉所恐怖症によるパニック障害が出ないか心配していたのですが、いざ中に入ってみると意外にもパニック障害に伴う恐怖心は出ませんでした。完全に消えたのかどうかはまだわかりませんが、今まで克服しようとしてもどうにもならなかったことが、明らかに変化したのです。それは霊止乃道を歩ませて頂きながら日々、自己の業想念を祓い、種観霊してきたことにより自分自身の「死」への理解が変化したことの顕れだと観じました。<br />　人は肉体の死をもって人生が終わりになると思っていましたが、肉体の自分が本当の自分でなく本体は霊であることを、母親がそのことを自らの死をもって観せてくれたのだと気付きました。今なら母親に「死とは肉体の死であり、自分の本体は霊であり、永遠である」とはっきり言うことができます。<br />　今回、改めて自分の人生を振り返らせて頂きまして、その目の前に顕れてきた現象の全てが霊止乃道を歩むために繋がっていることに気付きました。全て守護乃神霊の御導きであったことを強く観じます。まだまだ祓うべき業想念が後から後から出てきますが、それを通して神への理解に繋げ、日々淡々と霊止乃道を歩んで参ります。</p>
<p>※『霊止乃道』御著書三八〇頁参照</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>「何とかしなければ」と常に頑張っていた人生を手放し、家族への想いを解消することができました - 体験談のご紹介</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://mrt-jp.com/experience/post-488.html" />
    <id>tag:mrt-jp.com,2012:/experience//5.641</id>

    <published>2012-01-13T06:51:33Z</published>
    <updated>2012-01-13T07:07:26Z</updated>

    <summary>◆無理しているという自覚のないままスポーツに打ち込む日常生活を送る 　子供の頃に...</summary>
    <author>
        <name>アイディデザイン</name>
        <uri>http://mrt-jp.com/profile1.html</uri>
    </author>
    
        <category term="ＭＲＴ恵比寿" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="人生" label="人生" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="人間関係" label="人間関係" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="精神的安定" label="精神的安定" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="腰痛" label="腰痛" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="膝痛" label="膝痛" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://mrt-jp.com/experience/">
        <![CDATA[<p>◆無理しているという自覚のないままスポーツに打ち込む日常生活を送る</p>
<p>　子供の頃に、脊椎側湾症と診断されました。しかし、痛みなどの自覚症状が特になかったので、身体を動かすことが大好きな私は様々なスポーツに挑戦していました。今にして思えば、スポーツをすることにより、自ら歪みを大きくしてしまっていたと思います。そして一〇代の後半にはついに限界が来たようで、腰と膝を痛めてしまいましたが、それでも「まだ大丈夫」と思って、スポーツクラブのインストラクターになりました。<br />　しかし、職業として身体を動かすとなると、趣味でやるのとは全く事情が違いますので、次第に腰痛は慢性化していきました。何とかして治そうと、あらゆるタイプの整体に通ってみましたが、いずれもその場しのぎにしか過ぎず、ときにはその治療を受けることによって逆に腰痛がひどくなってしまうこともありました。最終的には、これ以上このまま仕事を続けるのは無理だと判断し、そのスポーツクラブを辞めて、より自由のきくフリーのインストラクターとして働くことにしました。</p>
<p><br />◆たった一度のＭＲＴ治良で仙骨の感度が変わったことを実感</p>
<p>　そんなある日、担当しているヨガ教室のお客さんから、ＭＲＴのことを聞きました。その頃の私は、仕事がフリーになったことで身体への負担が大幅に減り、特に大きな不調はなかったのですが、何故かその話に興味をひかれ、一度ＭＲＴ治良を受けてみることにしました。今から思えば、ちょっと話を聞いただけであれほどＭＲＴに興味をひかれたということは、きっと私の仙骨が求めていたからだと思います。<br />　早速予約を入れ、ワクワクしながらＭＲＴオフィスを訪ねました。私は仕事でヨガのほかに、趣味で太極拳をやっていますので、治良を受けた直後に、仙骨の感度が変わったことがハッキリとわかりました。左右の足裏が地面に吸いつくようで、それでいて身体は上に伸びていく感じがあり、開脚も以前より開くようになりました。その後、元々痛めていた腰が熱くなり、また、だるくもなりました。<br />　そして、初めて治良を受けた次の日に太極拳をしたのですが、明らかに今までとは違う感覚で動いている自分を、そのとき実感したのです。自分の中に中真があることをハッキリと感じ、とても大きな安心感と満足感に包まれたことを、今でも鮮明に覚えています。そのとき、「私が求めていたのはこれだ！」と確信すると同時に、今までいかに自分の仙骨の声を無視して身体を使っていたのかを振り返る自分がいました。またＲＴの先生より、これからは仕事や日常生活の出来事を理解に繋げ、淡々と取り組むことが大切であると教えて頂きました。</p>
<p><br />◆過去の無理によって生じていた歪みを調えるために、身体のあちこちが動き出す</p>
<p>　その後は治良を受ける度に、心身の変化や逆行を様々に経験致しました。<br />　治良を受け始めた頃の自分を振り返りますと、その頃は特に大きな不調はないと思っていたのですが、それは、ただ感じていなかったに過ぎないのだということが、今の私にはよくわかります。<br />　治良を受けるようになってからは、歩くのが以前より楽になり、よく眠れ、そして身体が軽くなり、いろいろなことをやりこなせるようになりました。インストラクターとして日々身体を動かす中で、片足のバランス、両足の踏み込む感覚が変化しているのがよくわかりました。<br />　そして、過去の無理によって生じた、身体のあちこちにあった歪みやズレを調えるために細胞が動き出し、めまい、頭痛、膝痛、あごの痛み、発熱などの症状が次から次へと出てきました。以前の私なら即病院へ行くところですが、自分自身のことがよく観えるようになってきていた私は、"これも流れの一つかな"と何の不安も感じることなく、不思議なほどにゆったりとした気持ちで自分の身体に起こった変化を受け入れていました。<br />　治良を受け始めて半年を過ぎる頃には、身体のバランスが調い、腰の使い方が変わり、より安定した動きとなり、疲れにくい身体になりました。</p>
<p><br />◆精神的にも力が抜け、「何とかしなければ」と頑張らなくてよいのだと真に思えるようになる</p>
<p>　ＭＲＴ治良を受けてから肉体が安定した以上に、精神的な変化のほうが、より大きかったと感じています。<br />　太極拳の大会に出ても、以前のように結果を気にして緊張したり力んだりすることが減りました。そのかわり、「自分の今持っているものを発揮できればよいのだ」というスッとした気持ちで、落ち着いて競技に臨むことができるようになり、逆に自分でも納得のいく良い結果を残すことができました。<br />　その他の面でも、「自分がどうしたいのかを一番にしてよいのだ。しかも、それが結果的にベストな選択なのだ」と感じることができるようになり、あまり深く考えずにスッと行動するようになりました。そして、何が起きても「ああ、そうか」と、ありのままを受け入れられるようになり、心が大きく波立たないようになりました。<br />　人間関係も、ゆったりとしたものになっていきました。それまでは「もっとより良い人間関係を！」とか「私が早く何とかしてあげないと！」と張り切りすぎて、自分も周りの人も疲れさせていたと思います。それは結局、自分を中真にして生きていなかったからだと思います。仕事上、人と接することが多いのですが、頑張らなくてもよいのだと真に思えるようになりましたので、自分自身が楽だなと感じる人間関係が築けるようになってきました。<br />　また、心身共に余計な力を抜くことが上手くなるに従って、段々余裕が生まれるようになり、日常生活で起きていることは何も変わっていないと思いますが、物事を観る視点や捉え方が変わったことにより、たくさんのヒントを得たり、「今だ！」というようなチャンスを見逃すことが少なくなりました。<br />　『霊止乃道』の御著書を拝読してからは、ますます日々の現象の中から自分の人生を紐解くという意識で日常を過ごすようになりました。</p>
<p><br />◆霊止乃道と出会い、家族との関係が紐解けてきた</p>
<p>　趣味でやっている太極拳では、ある有名な先生の下で稽古に励んできたのですが、次第に先生から声を掛けてもらうことが多くなり、やがてその先生の一門全体のまとめ役のような立場になっていきました。<br />　ＭＲＴ治良を受け始めて九〇回を過ぎた頃、私は非常に大きな太極拳の大会で、実行委員会の役員を担うことになりました。そして、ある一門の先生の御世話係のような役割になったのですが、実は私の師である先生と反目し合っている方を担当することになってしまったのです。初めは「どうなるのだろう？」と思いましたが、私にとっては、その数日間がとても良い経験となり、観方を変える大きな学びを得ることができました。<br />　ところが、その後、ちょっとした食い違いから、自分の先生から今までにないほどにものすごく怒られる事態が起きました。罵声とも言える言葉の数々に、以前の自分ならショックから取り乱していたかもしれませんが、冷静にその事態を受け止めている自分がありました。そして、子供の頃の出来事がフラッシュバックして蘇ってきたのです。<br />　私の父は韓国人、母は日本人です。周りの反対を押し切って結婚し、四人の子供をもうけましたが、夫婦ゲンカが絶えず、私はいつも、母が父の悪口を、そして父が母の悪口を言うのを聞かされながら育ちました。子供心に、両親に仲良くしてもらいたい一心で、いつも"良い子"を演じていました。そうすれば全てうまくいき、愛してもらえると思っていたのです。その後両親は、私が二〇代後半の頃に離婚しました。子供の頃からの心の癖はその後も引きずり、「ＮＯ」と言えない大人の自分がいて、たとえ言えたとしてもそのことに強いストレスを感じるようになっていました。<br />　周りの誰もが驚くほどの怒りを爆発させている先生の姿を観て、両親の間で揺れ動いていた子供の頃の自分の姿が思い浮かび、「ああ、そうか。私はこの人に気に入られたくて、良い人を演じて無理をしてきたのだ。本当の自分ではなかったのだ」という意識が湧き上がってきたのです。<br />　今までの人生の中で、何人も父親と同じようなタイプの男性が現れては、その都度苦しんできましたが、原因はその男性ではなく、「認めてもらいたくて、気に入ってもらいたくて中真を外していた自分自身にあったのだ」ということが奥深く染み込んでいくのを感じました。そして、そのことに真に気付くために、今生の人生の中で何度も何度も同じようなことを引き寄せ、繰り返してきたのであり、また、そのような現象を展開させていたのはまさしく自分自身であったのだということを実感致しました。<br />　このことを切っ掛けに、人間関係を大きく整理することになり、その先生の元を離れ、今まで築き上げてきたものを手放すような事態になりましたが、家族のことも含めて自分が遠い過去から持ち越してきたものを一緒に清算できたような感じがして、今は穏やかな気持ちで、さらに深く理解に繋げようとしている自分がおります。<br />　これからも自分の中真である仙骨を調整していくことで次へ繋げ、余計な想いはどんどん捨てて、本当の自分に帰っていきたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願い致します。</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>最新の体験談を5件追加しました。 - TOPICS</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://mrt-jp.com/topics/info/13-000646.html" />
    <id>tag:mrt-jp.com,2012:/topics//2.646</id>

    <published>2012-01-13T05:32:35Z</published>
    <updated>2012-01-16T05:33:11Z</updated>

    <summary>各地のＭＲＴの5件の験談を追加いたしました。内容は最近の体験談のコーナーでどうぞ...</summary>
    <author>
        <name>アイディデザイン</name>
        <uri>http://mrt-jp.com/profile1.html</uri>
    </author>
    
        <category term="ＭＲＴからのお知らせ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://mrt-jp.com/topics/">
        <![CDATA[<div style="margin-top: 0px; margin-right: 0px; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; padding-top: 10px; padding-right: 10px; padding-bottom: 10px; padding-left: 10px; height: 90%; border-top-width: 0px; border-right-width: 0px; border-bottom-width: 0px; border-left-width: 0px; border-style: initial; border-color: initial; border-image: initial; background-image: initial; background-attachment: initial; background-origin: initial; background-clip: initial; font: normal normal normal 13px/normal arial, helvetica, hirakakupro-w3, osaka, 'ms pgothic', sans-serif; "><p style="border-style: initial; border-color: initial; ">各地のＭＲＴの5件の験談を追加いたしました。内容は<a href="http://mrt-jp.com/experience/">最近の体験談</a>のコーナーでどうぞ！</p></div> ]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>沿革（ＭＲＴの歩み（歴史））を更新いたしました。 - TOPICS</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://mrt-jp.com/topics/info/12-000640.html" />
    <id>tag:mrt-jp.com,2012:/topics//2.640</id>

    <published>2012-01-12T02:12:41Z</published>
    <updated>2012-01-13T02:14:22Z</updated>

    <summary>ＭＲＴの歩み（歴史）を更新いたしました。 国立京都国際会館での「ＭＲＴ３０周年記...</summary>
    <author>
        <name>アイディデザイン</name>
        <uri>http://mrt-jp.com/profile1.html</uri>
    </author>
    
        <category term="ＭＲＴからのお知らせ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://mrt-jp.com/topics/">
        <![CDATA[<p>ＭＲＴの歩み（歴史）を更新いたしました。</p>
<p>国立京都国際会館での「ＭＲＴ３０周年記念特別講話」の様子などもご覧いただけます。</p>
<p><a href="http://mrt-jp.com/company/history.html">http://mrt-jp.com/company/history.html</a></p>
<p>&nbsp;</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>最新の体験談を４件追加しました。 - TOPICS</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://mrt-jp.com/topics/info/26-000639.html" />
    <id>tag:mrt-jp.com,2011:/topics//2.639</id>

    <published>2011-12-26T06:54:13Z</published>
    <updated>2011-12-26T06:55:20Z</updated>

    <summary>各地のＭＲＴの４件の体験談を追加いたしました。内容は最近の体験談のコーナーでどう...</summary>
    <author>
        <name>アイディデザイン</name>
        <uri>http://mrt-jp.com/profile1.html</uri>
    </author>
    
        <category term="ＭＲＴからのお知らせ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://mrt-jp.com/topics/">
        <![CDATA[<p>各地のＭＲＴの４件の体験談を追加いたしました。内容は<a href="http://mrt-jp.com/experience/">最近の体験談</a>のコーナーでどうぞ！</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>様々な病気の末、膠原病（強皮症、シェーグレン症候群）と診断されましたが、薬も一切飲まず、多くの検査結果が正常値になり、心身共にますます元気です！ - 体験談のご紹介</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://mrt-jp.com/experience/post-487.html" />
    <id>tag:mrt-jp.com,2011:/experience//5.638</id>

    <published>2011-12-26T06:52:05Z</published>
    <updated>2012-01-10T05:40:59Z</updated>

    <summary>◆低血圧、胃潰瘍、橋本病、膠原病...、たくさんの薬を飲んでいた 　私が一二歳の...</summary>
    <author>
        <name>アイディデザイン</name>
        <uri>http://mrt-jp.com/profile1.html</uri>
    </author>
    
        <category term="ＭＲＴららぽーと千葉" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="シェーグレン症候群" label="シェーグレン症候群" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="低血圧" label="低血圧" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="強皮症" label="強皮症" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="橋本病" label="橋本病" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="胃潰瘍" label="胃潰瘍" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="膠原病" label="膠原病" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="花粉症" label="花粉症" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://mrt-jp.com/experience/">
        <![CDATA[<p>◆低血圧、胃潰瘍、橋本病、膠原病...、たくさんの薬を飲んでいた</p>
<p>　私が一二歳のときに、母が病気で倒れました。長い間寝付いていた母の姿を子供の頃からずっと見ていた私は、「母のようにはなりたくない」と強く思い、少し体調が悪くなっただけでもすぐに医者の薬を飲んで症状を抑えるということを繰り返していました。精神的にも辛いことが続き、長い間、だいぶストレスを溜めていたと思います。<br />そのせいか、四〇歳のときには低血圧で疲れやすくなり、最悪なときで、上が八六、下が四〇しかない状態だったこともありました。<br />　その後、四五歳のときには胃潰瘍になり、痛みがひどくなると薬を飲み、そして痛みがなくなれば薬をやめるといったことを何回も繰り返すなど、病院との縁が切れない状態のまま月日が流れていきました。そして五〇歳のとき、異常な頭痛と肩凝りに悩まされるようになり、ある日、身体がドーンと重くなったので、病院で検査を受けたところ、難病指定の「膠原病」と診断され、「強皮症」「シェーグレン症候群」と言われました。なす術もなく、医者から言われるがままに薬を飲んでいましたが、良くなっていく兆しが見えないばかりか、徐々に薬の量が増やされ、しまいには一日に一八錠ほども服用するようになっていました。<br />　更に、五五歳の頃には「橋本病（甲状腺機能低下）」と診断され、膠原病の薬と共にその薬も合わせて飲まなければならなくなったのですが、毎日毎日、大量の薬を飲むことがイヤになり、橋本病の症状が落ち着いてきた頃から薬をやめ、膠原病の薬も、自分で少しずつ減らし、とうとう全ての薬をやめてしまいました。</p>
<p>◆初めてＭＲＴを受け、「これだ！」と直感</p>
<p>　全ての薬をやめてしまったものの、膠原病による身体中の痛みは消えるはずもなく、六〇歳頃から二ヵ所のカイロプラクティックに通うようになりました。四年ほど通いましたが、良くなるどころか回数を重ねるに従い身体の痛みはどんどんひどくなっていくばかりで、この先どうしたらよいのか困り果てていました。<br />　六六歳のある日、妹の所に遊びに行ったときに、妹の知人からＭＲＴの話を聞きました。ちょうどその頃、妹は手の震えで困っていたのですが、妹の知人が「これから一緒にＭＲＴに行きましょう」というので、私も見学のために付いて行くことにしました。その日は、私はＭＲＴ治良を受けずに、妹達が治良を受ける様子を見ているだけでしたが、妹の知人の紹介で無料体験ができると聞き、早速次の週にＭＲＴ治良を体験しました。<br />　治良はあっという間でしたが、仙骨から背中にかけて、まるで湖に投げ入れた小石から波紋が広がっていくように、何とも言えない心地良さを感じ、「私の求めていたものはこれだ！」と直感し、ＭＲＴに懸けてみようと思い、すぐにカイロプラクティックに通うのをやめました。</p>
<p>◆薬も飲まず、胃潰瘍と花粉症が消え、低血圧が正常値になった！</p>
<p>　ＭＲＴ治良を受け始めて間もなくの頃は、症状そのものの改善は見られませんでしたが、治良を受けたときの何とも言えない心地良さは一ヵ月ぐらい続きました。<br />　そして、上半身の筋肉がムクムクと動いたり、夜寝ているときに歯と首筋が毎晩カタカタと動くなどといった変化が、しばらく続きました。また、不思議なことに、身体をまっすぐにして寝ているにもかかわらず、夜中に腰が勝手にボンボンと大きくバウンドするなどして、身体の修復が始まっていることを実感しました。<br />　その後、書き切れないほどの数々の逆行を体験しました。昔から様々な病名を付けられ病院の薬を飲み続けてきたことと、難病指定の膠原病と言われていることから、一朝一夕に症状が良くなることなど初めから期待していませんでしたが、「これしかない」という直感に従い、様々な逆行が出ても驚かず平常心で乗り越え、淡々と治良を受け続けてきました。気が付けば、いつの間にか胃潰瘍もすっかり治っており、花粉症も全く出なくなっていました。<br />二〇〇八年には、急に血圧が上がり始め（上一五〇‐下一〇〇）、血圧が高めの状態が三ヵ月続いた後、自然に、上が一二〇、下が八〇に下がりました。何と四〇歳からの長年の低血圧が、七〇歳にしてすっかり正常値になってしまい、二〇一一年一一月現在も落ち着いています。</p>
<p>◆精神的な囚われが減り、人間関係が大きく変化</p>
<p>身体的な変化のみならず、精神的にも様々な変化があり、自分の周りの人間関係が、自然と整えられていきました。<br />特に、大きな変化を感じたのは家族のことです。以前から、長男が定職に就けず家にいることが多く、ＭＲＴに誘ってもイヤがる長男の将来がとても心配で仕方ありませんでした。<br />師尚の御講話に参加させて頂いたとき、そのことを質問させて頂く機会があり、師尚から「そのような人は、これから本当に何かしなければならないことがあったとき、そのときに力を発揮する人なのです。だから今は動かないのです」という御話を頂きました。しかし、当時の私は「そのようなときがいつ来るのだろうか？　このまま放っておいても良いのだろうか？　親が生きているうちはいいけれども、いずれ彼一人になるときが来たらどうなってしまうのだろう...？」と、現実ばかりが気になって、なかなか理解することができませんでした。<br />　その不安な気持ちを、ＲＴの先生に何度も質問してお話し頂き、自分でも懸命に理解しようと努めているうちに、長男の心配をするよりもまず自分自身が理解を深めなければならないと気付くようになりました。どんなにＭＲＴを勧めても受けたがらない家族に対しても、自分が理解していなければＭＲＴの良さを伝えることもできず、何よりもまず自分が不自由していては本末転倒だと気付いた頃から、段々と気が楽になっていきました。<br />　そして、家族を変えようとするのではなく、自分の中真を保つようになってからは、それまであまりなかった家族間での話し合いが自然に増えていき、今まで知らなかった長男の本心を聞くことができるようになったのです。それによって不安が消え、「息子には息子の人生があるのだから、見守っていよう」という心境になり、師尚が以前におっしゃっていた御言葉の意味が少しずつ実感できるようになってきました。<br />　そのようにして自分自身が囚われなくなっていくと、長男も自然と変わり始め、自分から職業紹介所に行ったり、ＭＲＴの近くにあるお店まで来たりと、外に出ていくようになってきたのです。しかし、だからといって、仕事をするかしないかに口を出すことなく、本人に任せて見守っています。最近では、離れた場所に住む、療養中の妹の家まで自ら出向いていろいろと手伝いをしてくれており、妹からは、「とても助かっているわ」と喜ばれています。<br />　自分も、今ではあまり先のことを考えて悩むこともなくなり、安心して見守っています。</p>
<p>◆病気になったことも必要だったと理解しました</p>
<p>　ＭＲＴ治良に淡々と通いながら、師尚の御著書や『月刊ＭＲＴ』を欠かさず読み、また、ＲＴの先生のお話を伺っているうちに、自分に起きることは全部、自分にとって必要なことだと感じ、平静を保つことができるようになりました。ＭＲＴを受け始めて七年目の今でも、無理をしたときや梅雨時には上半身に激痛が出ることがありますが、相変わらず薬は一切飲まずにやり過ごしています。<br />五〇歳のときに「膠原病」と診断されてから、様々な身体の苦痛を経験してきましたが、もしも自分がこの病気にならなかったら、他人の弱いところや、痛みがわからない人間になっていたかもしれません。きっと、今よりもずっと不平不満を持ちながら歳をとっていたことでしょう。そのことを私に理解させてくれたのがＭＲＴでした。ＲＴの先生や、スタッフの方々には深く感謝しています。また、ＭＲＴに通わせてくれている家族にも感謝しています。</p>
<p>◆薬も一切飲まずに、様々な数値が正常値になった！</p>
<p>二〇〇六年のある日、出掛けたついでに、近場の、いつもと違うＭＲＴオフィスに寄らせて頂きました。そのときの担当のＲＴの先生が、過去に膠原病でＭＲＴで良くなった経験があると聞き、「頑張りましょう」と励まされたことを覚えています。そのとき、「肝臓にはＭＲＴの核酸が良い」と勧めてくださって、それ以降ずっと飲み続けています。当時、特にお酒も薬も飲まないのに肝臓の数値が正常値よりも高い状態だったのですが、二〇一一年現在、肝機能がとても良くなりました。正常値にもう一歩です。<br />　今、薬は一切飲んでいませんが、三ヵ月に一度、病院で血液検査だけ受けています。膠原病と診断されたばかりの頃は検査項目が五〇個以上あったのが、今は四〇個ぐらいになり、異常値は六個ぐらいで、正常になったものがたくさんあるようです。<br />　今や、知らない人から「あなたは顔色が良いですね。元気そうですね」と言われるまでになり、「膠原病と言われているのですよ」と言うと、決まって信じてもらえないのですが、ありがたいことであり、ＭＲＴに通っているおかげだと思います。<br />これからも自分の中真の声を聞いて、自分を大事にしていきたいと思います。</p>
<p>Ｋ・Ｋさんの検査数値の変化の一部</p>
<p>※正常値の範囲は病院によって若干異なることもあるため、あくまでも目安となります。</p>
<p>●ＧＯＴ（正常値六～四〇）<br />昭和六一年...六〇　→　平成二三年...三一</p>
<p>●ＧＰＴ（正常値五～三五以下）<br />平成九年...四五　→　平成二三年...二四</p>
<p>●γＧＴＰ（正常値四～六八　※女性の場合上限値三〇～四〇）<br />平成一八年...一八七　→　平成二三年...七五（一時期は正常値になり、その後若干波があるが、医者からはこのぐらいなら心配ないと言われている）</p>
<p>●ＬＡＰ（正常値三〇～八〇）<br />平成一八年...一三七　→　現在検査なし</p>
<p>●ＡＬＰ（正常値四〇～三五〇）<br />平成一九年...三八二　→　平成二三年...二七七</p>
<p>●血圧（ＷＨＯ基準正常値　収縮期一三〇未満‐拡張期八五未満）<br />昭和六三年...八六‐四〇　→　平成二三年...一二〇‐七〇</p>
<p><br />&nbsp;</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>自転車で軽トラックと正面衝突する大事故に遭っても、軽傷で済んだ不思議な体験を通して、事故後より勘が冴えるようになり、行動が落ち着いた - 体験談のご紹介</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://mrt-jp.com/experience/post-486.html" />
    <id>tag:mrt-jp.com,2011:/experience//5.637</id>

    <published>2011-12-26T06:49:31Z</published>
    <updated>2011-12-26T06:51:36Z</updated>

    <summary>◆風邪をひきやすく、アレルギー体質だった僕が、ＭＲＴ治良で元気になる 　僕がアレ...</summary>
    <author>
        <name>アイディデザイン</name>
        <uri>http://mrt-jp.com/profile1.html</uri>
    </author>
    
        <category term="ＭＲＴ愛媛" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="アレルギー性結膜炎" label="アレルギー性結膜炎" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="アレルギー性鼻炎" label="アレルギー性鼻炎" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="反復性耳下腺炎" label="反復性耳下腺炎" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="花粉症" label="花粉症" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://mrt-jp.com/experience/">
        <![CDATA[<p>◆風邪をひきやすく、アレルギー体質だった僕が、ＭＲＴ治良で元気になる</p>
<p>　僕がアレルギー性鼻炎とアレルギー性結膜炎になったのは、七歳の頃です。とても風邪をひきやすくて、いつも頭の周りがモヤモヤしているような感じで、薬を飲んでいました。<br />八歳になると、今度は耳の下がよく腫れて痛むようになり、お医者さんから「おたふく風邪のようだが、よくわからないね」と言われました。その後も何回も腫れては痛くなる度に病院に行くうちに、「これはただのおたふく風邪ではない。反復性耳下腺炎です」と言われました。<br />そんな僕のことを心配したお母さんは、以前からお母さんが通っているＭＲＴ治良に僕を連れて行ってくれました。<br />八歳で初めて治良を受けたとき（二〇〇九年）は、「どんなことをするのかな？」と少しドキドキしましたが、お母さんから痛くないと聞いていたので、不安はありませんでした。そして、治良の後に乗った『センコツくん』も、足の裏がカタカタ動いて面白いなあと思いました。治良の後は、すごく眠くなり、ぐっすり眠れました。<br />ＭＲＴ治良を受けるまでは、頭がモヤッとしたり、時々イライラすることもありましたが、治良を受けて三ヵ月が過ぎた頃には、頭がスッキリしていると感じる日が出てきました。お母さんから、「頭の回転が良くなっているよ」と言われ、うれしかったのを覚えています。<br />アレルギー性鼻炎や反復性耳下腺炎の症状は、出たり引っ込んだりしながら、今年の夏頃（二〇一一年八月）には、ほとんど出なくなっていました。<br />　</p>
<p>◆自転車で軽トラックと正面衝突する</p>
<p>　僕は、周囲の人からいつも「落ち着きがない」と言われていたのですが、僕が転びやすいのも、そのせいかなと思っていました。その日も待ち合わせの時間に遅れそうになり、焦って自転車を飛ばしていました。スピードを出したまま曲がり角に差し掛かったところで、急に軽トラックが目に飛び込んできました。ブレーキを掛けたのですが間に合わず、あっという間に正面衝突してしまいました。その瞬間、僕は力を抜いて自転車を盾にしてぶつかり、自転車の下敷きになって転んでいました。まるでスローモーションのように、時間がゆっくり流れた感じがしました。<br />　後でお母さんから聞いた話では、軽トラックを運転していた人は「気付いた瞬間、急ブレーキを掛けたが間に合わず、正面衝突をした」と話していたそうです。大慌てで車から降りて僕に駆け寄り、「とにかく親に連絡をして、それから早く病院に行こう」と僕を車に乗せて、僕の家まで連れて行ってくれました。<br />そのとき僕は、肘と顔を強く打ったようで、特に鼻から下の口の周りにひどい痛みがありました。その後の病院での検査の結果は、前歯一本が三～四ミリ欠けてしまっただけで、「他はどこにも異常はない」と言われました。<br />初めて事故に遭いましたが、あまり不安になることなく病院でも過ごせました。お母さんが「すぐにＭＲＴに行って治良してもらおう」と言ってくれたので、病院の帰りにＭＲＴに行き治良を受けました。</p>
<p><br />◆事故後より、勘が冴えて、落ち着いて行動できるようになる</p>
<p>欠けた歯は、歯医者で整形して元に戻してもらいましたが、食べる度に痛みがあり、整形した歯がすぐに取れてしまうので、食事はゆっくりよく噛んで食べるようになりました。ＭＲＴ治良を受け続けたことと毎日家で『センコツくん』に乗っていたので、前歯の辺りの痛みは三ヵ月ほど経った頃にはすっかり消えてしまいましたが、痛みが消えても、そのまま食事はゆっくり食べるようになりました。<br />事故に遭ったときのことを「怖かったな」と思い出すことはありますが、それよりも、車にぶつかった瞬間に自然に力が抜けて、自転車を盾にして倒れるという、自分では絶対に考え付かないようなことをしたことを、今でも不思議に思います。<br />交通事故に遭うまで、いつも落ち着きがないと言われていた僕ですが、それからは慌てないで行動するようになり、また、勘が冴えるときがあります。そのときは「絶対」という気持ちが湧いているときで、僕が思った通りになるのです。<br />僕はＭＲＴで元気になりましたが、ＭＲＴ治良も「絶対」と思うので、これからも家族で受けたいと思います。</p>
<p>【お母さんのお話】</p>
<p>軽トラックの運転手から「息子さんが車と正面衝突して...、今、急いでそちらに向かっています」と自宅に電話が入ったときは、「やっぱり...」と思いました。なぜなら、「遊びに行く」と言って急いで出掛けた息子を見て、何か胸騒ぎがしていたからです。予感が当たったことで、そう思ったときには引き止めるべきだったと後悔していました。<br />運転手の方もかなり気が動転していたようで、本来ならすぐに救急車を呼ぶところですが、いても立ってもいられずに自分で息子を運んできたと話していました。それから病院、警察と事故処理の対応に行かれたのですが、自転車は大きく歪んでしまい、タイヤやハンドルが全く動かなくなってしまっているのを見た警察から「なぜすぐに病院に連絡をしなかったのか！」とかなり怒られて指導を受け、病院からも「人の命が先ですよ」と叱られたと話していました。自転車の状態から、かなりの衝撃だったことがうかがえました。<br />しかし、ケロッとしている息子を見て、私はとても驚きました。息子から、「うまく力を抜いてよけたんだ」と言われたときは、何か見えない力に護られていると感じ、すぐにＭＲＴに電話をして治良を受けに行きました。<br />事故の経緯をＲＴの先生に話すと、「胸騒ぎがしたということですが、それが"中真感覚　"なのです。今回の出来事からは、遊びに行くのを無理にやめさせることが中真ではなく、経験をさせることが必要であったということを理解することです。だから、大事故になるところが、ちょっとのケガで済んだのですよ。このようなことからも、ご自分の中真に本当に護られているなと実感できると思います」とのお話を頂き、自分を責めるところでしたが、救われた気持ちになりました。<br />事故後の息子は、勘が冴えるときがあり、息子が「これは絶対だよ」と言ったときは、間違いなくそうなるのです。そうして、何気ない会話の中にもしっかりとしたことを話すようになり、大人の会話ができるようになって、まるで二〇歳の息子ができたような感じです。<br />先日の広島を震源地とした地震（一一月二一日、広島で震度五弱、松山で震度二）の際にも、今までにない大きな揺れを感じましたが、数秒で収まりホッとしていると、息子はすぐに非常用のリュックを持ち出して、テキパキと食料を詰めていました。「これから本震が来るかもしれないから、注意してね」と、家族に話している息子の姿には目を見張るばかりで、息子の行動力と"中真感覚　"に、「ＭＲＴ治良を受けていて本当に良かった」と実感しました。<br />このようなことからも、仙骨に秘められた力と重要性をより実感し、これからの時代に向けて私達家族には、なくてはならないＭＲＴ治良となりました。<br />これからも、家族で通い、仙骨のバイブレーションを高めていきます。</p>
<p>&nbsp;</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>シックハウス症候群からアトピーとなり一時は死のうとまで思い詰めましたが、今は精神的にも安定し普通に生活できるようになりました。 - 体験談のご紹介</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://mrt-jp.com/experience/post-485.html" />
    <id>tag:mrt-jp.com,2011:/experience//5.636</id>

    <published>2011-12-26T06:47:32Z</published>
    <updated>2011-12-26T06:49:11Z</updated>

    <summary>◆引っ越した部屋でアトピーを発症する 私は、元々アレルギー体質ではなかったのです...</summary>
    <author>
        <name>アイディデザイン</name>
        <uri>http://mrt-jp.com/profile1.html</uri>
    </author>
    
        <category term="ＭＲＴ梅田" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="アトピー" label="アトピー" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="アレルギー" label="アレルギー" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="シックハウス症候群" label="シックハウス症候群" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="リバウンド" label="リバウンド" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="精神不安定" label="精神不安定" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://mrt-jp.com/experience/">
        <![CDATA[<p>◆引っ越した部屋でアトピーを発症する</p>
<p>私は、元々アレルギー体質ではなかったのですが、三○代前半に引っ越しをしたときに、引っ越し先の部屋で※１シックハウス症候群になったことがアトピーの始まりでした。<br />初めは手の指先がガサガサになり病院へ行くと「手荒れ<br />と言われ、塗り薬をもらいましたが良くならず、その内、手足の関節などもガサガサして痒くなり、別の病院へ行くと「アトピー<br />と診断されました。その病院でも同じく塗り薬をもらい、塗ると一時的には良くなるかのように見えましたが、根治するまでには至らず、それどころか患部は広がっていくばかりでした。それと共にアトピーの治療でよく使われるステロイド薬の量も増え、その強さも増すばかりで、飲み薬なども時々服用しながらも症状は悪くなっていく一方でした。<br />病院を転々と替えてみたものの、どこでも同じ塗り薬の治療で、だんだん薬だけの治療に疑問を持つようになっていきましたが、これという治療に出会えないまま　痒くて皮を掻きむしってはボロボロになり、赤紫になった皮膚は痛々しく見るからに皮膚の病気だとわかる状態が全身に広がっていきました。</p>
<p>◆東洋医学に活路を求めたが西洋医学と同じ薬漬けの考え方に失望し自ら薬を止める</p>
<p>仕事中（役所関係の書類を歩いて届ける仕事をしていました）は掻けませんでしたが、家に帰るとホッとして気が緩み、皮膚を掻き崩していました。掻き出すと止まらなくて家にいる間中、ずっと身体を掻きむしっているような異常な状態が続いていました。やがて顔や頭皮にまでアトピーが広がり、かろうじて足先の皮膚だけが普通の皮膚として残っているといった状態にまで症状が悪化して行ったため、仕事を辞めて家に引きこもるようになりました。その頃から、病院の治療に限界を感じ始め、他の治療を探し始めました。東洋医学に興味を持つようになり、本を読んでみると、そこには「自分の免疫力で改善する」と書かれており、それまで薬にどっぷり依存した治療を受けていた私は、大きなショックを受けました。<br />しかし、東洋医学の治療も、まず漢方薬を飲んで今まで自分が身体に溜めた薬を抜くということで、当時の私の症状では四年から八年も掛かると言われ、すごく高い壁があるように思えました。そこで、何とか今までのように薬に依存していた生活から脱出したいと思い、無謀でしたが我流で突然薬を止めました。その直後から激しい痒みが全身を襲い、掻きまくると、今度は身体が傷だらけとなって激痛が襲い、皮膚はボロボロとなり、まるでゾンビのようで、とても人間だとは思えぬ姿となり、まるでゾンビのようでした。</p>
<p>◆生き地獄のような症状の辛さに「死んだら楽になるのでは？」と考える日々</p>
<p>今から思えば急にステロイドを止めたことによるリバウンド（禁断症状）であったと思いますが、その当時は自分の身体の中で何が起こっているのかわからないまま、急に熱が出たり、悪寒が走ったり、身体はブヨブヨにむくみ象のような肌になりました。相変わらず毎日激しい痒みに皮膚を掻き崩し、掻いた後は傷だらけになって激痛を味わうということの繰り返しでした。　<br />私が歩いた後は床の上に掻きむっしった皮膚が剥がれ落ちている始末で、特にひどかったのは腋やソケイ部、首の周りなどリンパ節のある部位で、掻き過ぎて深い傷となり、そこから出た液が固まると身体を動かせなくなり、うっかり動かすと傷口がパカッと割れて強い痛みが走ります。<br />そうして、身体が液で固まってしまうと、もう動くことができず一日中椅子に座っていました。毎日毎日が"掻いては傷になり "の繰り返しで、二四時間のうち二、三時間眠れたら良いほうでした。そんな日々が三ヵ月も続くと段々ノイローゼになってきて、「自分は何のために生きているのだろう...死んだら楽になれるのではないか...<br />とそんな事まで考えるようになっていました。<br />毎日毎日がアトピーの痒みとその後の痛み、また掻いてしまったという後悔の気持ちも一緒になって、まるで生き地獄のようで辛くて苦しく、生きる気力もなくなっていきました。しかし、死にたいけれど死ぬ勇気もなく、どうしたら良いのかわかりませんでした。身内や友達や知り合いの人も心配して、アトピーに良い治療を教えてくれたので、いろいろと試すようになりました。温泉治療、漢方薬、岩盤浴などを試しているうちに、症状が改善される兆しが現れ始めました。周りの人に支えてもらいながら、少し症状が軽くなってきていることで「又頑張って治していこう<br />という気持ちになりましたが、全身のひどいアトピーはそう簡単には改善せず、いろいろと試してみると、身体の中の悪いものが、ありとあらゆる毛穴から噴き出てきて、魚の腐ったような臭いを放っていました。</p>
<p>◆ＭＲＴを受けて「私のアトピーは治る。治そう」という意欲が湧いてくる</p>
<p>そんなときに知人でＭＲＴのアプリカントである、ＳさんからＭＲＴを教えてもらいました。そのときに「（ＭＲＴは）病気も良くなるけど意識も変わるよ」という話を聞き、どうせ治らないだろうと半信半疑ながらも、それまで絶望的だった気持ちが、「まあとにかくＭＲＴを受けてみよう<br />と思うようになり、ＭＲＴ梅田を訪れたのでした。<br />初めて治良を受けてみると、たった１秒であっという間に終わってしまい、びっくりしました。また、初回説明で仙骨と魂の関係の話しを聞いたり、頂いた本に月のリズムと人間の関係が説かれていることに興味を覚え、今までも人間は肉体だけではないと思っていたので、これは今までと何か違うと感じ治良を続けることにしました。<br />受け始めた頃は、悪いものが出て行くような感じで皮膚に逆行が出たりして、目に見えて改善はしなかったのですが、ＭＲＴ治良を受けると、何よりも、一時は死のうとまで思った私が今までどのような治療にも感じなかった「気持ちが楽になって落ち着いていく」ことを実感できたのが、非常に印象深い体験でした。そして「私のアトピーは治る。治そう」という意欲が湧いてきたのです。この体験から仙骨の大事さを感じて、その年（二○○九年）の五月には『センコツくん』も購入して毎日乗るようになりました。<br />こうして半年、一年と治良を続けるうちに皮膚の赤味が取れてだんだん肌色になってきました。ＭＲＴの治良を受けながら、痒いときにはゼロ商品の酸性水を塗ると痒みが軽減することを体験し、何よりも添加物の心配がなく、安心して肌に塗れるのがうれしく感じられました。また、お風呂に入るときは香りの良いカモミールの入浴剤でリラックスできました。お風呂から上がったときに一番痒みが襲ってくるのですが保湿力が高いカモミールのお陰で、お風呂上がりの辛い痒みも減りました。そして気付いたらこうして体験談まで書かせて頂くまでに良くなりました。まだ少し波はありますが、普通に生活できるようになり、今ではアトピーにだとわからないくらいにまで良くなりました。</p>
<p>◆ＭＲＴ治良によって肋骨骨折の痛みが激減し、驚異的な早さで治る</p>
<p>アトピーが良くなっただけではなく、今年（二○一一年）の五月に肋骨を折るケガをしたときもＭＲＴが頼りになりました。自宅で衣替えのためにクローゼットの上から衣類を出そうとして一・五メートルくらいの高さから落ち、落ちた所に踏み台があり、その角で背中を強打しました。あまりにも痛いので、とにかく『センコツくん』に乗りました。すると痛みが楽になったので一時間くらい座って乗っていました。しかし、『センコツくん』を降りるとまたどうにも痛くてたまらなくなりＭＲＴに電話したところ「今の状態でも、治良に来れるなら来てください<br />とのことでしたので、痛みをこらえながら、なんとかＭＲＴオフィスに辿り着きました。治良の台に乗るのも激痛が走って大変な思いをしましたが、治良して頂くことができました。<br />治良の後に病院でレントゲンを撮ると肋骨が折れていることがわかり、即コルセットを着け、痛み止めの薬も勧められましたが、アトピーが出ては困るので薬は断りました。医師からは「骨折すると激痛で眠れないかもしれないよ<br />と言われましたが、ＭＲＴに行ったお陰で不思議にその夜はグッスリ眠れました。咳、クシャミ、アクビをしても激痛が走るので朝起きるのも大変でしたが、ＲＴの先生に集中治良のことをお聞きしてＭＲＴに三日おきに五回続けて通ったところ、みるみる良くなっていき、三週間目には自転車に乗れるようになり、コルセットも病院で言われていたより早く取ることができました。あまりにも治りが早かったので、ＲＴの先生伺ってみたところ、「今までＭＲＴに通っていたエネルギーが貯金されていたんだね」とおっしゃって下さいました。<br />ＭＲＴに通ってから物の見方や考え方も変わり、精神的にも以前より安定してきています。アトピーがＭＲＴに通う切っ掛けとなりましたが、通い続けていくと、自分の生き方自体にも良い影響があることを実感しています。ＭＲＴに出会い、通えていることに感謝します。</p>
<p>※１シックハウス症候群：新築やリフォームをしたときの建材からの化学物質や、日常生活用品、ダニやカビなど様々な原因により汚染された室内空気によって起きる精神的、肉体的症状のこと。</p>
<p>&nbsp;</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>立てないほどひどかった腰痛、膝の痛みが、短期集中治良でみるみる回復！ - 体験談のご紹介</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://mrt-jp.com/experience/post-484.html" />
    <id>tag:mrt-jp.com,2011:/experience//5.635</id>

    <published>2011-12-26T06:45:06Z</published>
    <updated>2011-12-26T06:47:03Z</updated>

    <summary>◆腰はフラフラ、膝もガタガタの状態に... 長い間、私は実家が経営しているスーパ...</summary>
    <author>
        <name>アイディデザイン</name>
        <uri>http://mrt-jp.com/profile1.html</uri>
    </author>
    
        <category term="ＭＲＴ京都" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="フラフラ" label="フラフラ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="短期集中治良" label="短期集中治良" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="脊柱管狭窄症" label="脊柱管狭窄症" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="腰痛" label="腰痛" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="膝痛" label="膝痛" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://mrt-jp.com/experience/">
        <![CDATA[<p>◆腰はフラフラ、膝もガタガタの状態に...</p>
<p>長い間、私は実家が経営しているスーパーで働いておりました。寒い食品売り場での重労働、そして仕入れや検品で重い荷物を運んだり、パートの従業員への気遣いなどで、肉体的にも精神的にもだいぶ無理をしてきたと思います。<br />そして、一〇年ほど前から腰が安定しなくなり、フラフラとした状態になりました。<br />病院で診察を受けたところ「脳の病気かもしれない」と言われ、脳神経外科に回されてＭＲＩを撮りましたが、どこにも異常は見当たらず、原因不明のままで、現代医学ではどうしようもない状態でした。その後、いろいろと病院を変え、最終的に「脊柱管狭窄症」と診断されましたが、ただ病名が付いただけで、症状が改善されることはありませんでした。そして、良いと言われる鍼灸や整体で症状をごまかしながら、なんとか仕事をこなしておりました。<br />しかし、次第に症状が進み歩けない状態にまでなり、「このまま動けなくなって死を待つばかりになるのではないか？」と途方に暮れていたところ、知人から『仙骨』を治良する『ＭＲＴ』というところがあることを聞きました。<br />思うように動かない身体で、バスと電車を乗り継いで自宅のある京都市の南から大阪市の梅田まで行けるのかどうか自信はありませんでしたが、『仙骨』という言葉に強くひかれるものを感じていた私は、意を決して二〇一一年三月にＭＲＴ梅田に行ってみることにしたのです。腰の痛みとフラつきがひどく、ほとんど歩けないほどの状態でしたが、階段やエスカレーターで大変な苦労をしながら、やっとの思いでＭＲＴ梅田のオフィスにたどり着いたのでした。</p>
<p>◆あっけない治良に驚いた</p>
<p>初めて受けたＭＲＴ治良は、苦心して大阪まで行ったわりにはあまりにあっけなく、「こんな治良で本当に良くなるの!?」という驚きで一杯でした。<br />更に、最初にＭＲＴ治良を受けた日は、元気になるどころか逆に身体が重くなり、痛みとシビレが増すばかりで「身体を治しに行ったはずなのに...」と情けない気持ちになりました。しかし、「たった一秒の治良でこれだけ変化があるということは、きっと何かあるはず。また、紹介してくれた人も、悪いものを私に紹介するはずがない<br />と思い、『仙骨』という言葉に何かを感じた自分を信じて、少し通ってみようと思ったのです。</p>
<p><br />◆精神的に変化が始まる</p>
<p>「本当に治るのかなあ？」と思いながらも、五回目の治良を過ぎる頃には、肉体的な変化よりも先に精神的な変化が顕れ始めました。以前は、自営で行っている仕事のことをあれこれと考えてばかりいて、気になるといつも眠れなかったのですが、ＭＲＴ治良を受け始めてから精神的に落ち着いてきて、朝までぐっすり眠れるようになっていることに気付きました。膝の痛みや腰痛は少し改善したようですが、まだ腰が安定せず、家から遠い梅田のＭＲＴオフィスに通うことが大変だったこともあり、一〇回目の治良を過ぎる頃には、段々と治良間隔を開けてしまうようになりました。そのため、腰と膝が再び痛み出し、二〇一一年六月には、ほとんどＭＲＴ梅田に通うことができなくなってしまったのです。<br />「せっかく良いところを見付けたのに、もう行けないかもしれない。私はもうおしまいだ」と悲嘆に暮れていた頃、二〇一一年七月にＭＲＴがＪＲ京都駅の近くに開設されるという案内のハガキが自宅に届きました。ＭＲＴ梅田に行くことが無理でも、自宅と同じ京都市内なら簡単に通うことができます。ＭＲＴに行きたくても体調が悪くて遠くまで通うことができなかった私にとって、まさに地獄に仏とはこのことだと思いました。<br />早速、七月五日のオープンの日に予約を入れ、ＭＲＴ京都に通うことにしたのです。オフィスの場所は違っても、ＭＲＴ梅田と全く同じ雰囲気に安心し、何の不安もなく治良を終えて、ＲＴの先生に非常に身体の状態が悪いことを相談致しました。ＲＴの先生からは「治良の初めは仙骨の動きをよくするために週二回で通われることをお勧めしておりますが、ご自宅から遠いことや身体が動かないこともあって、それができなかったのですね。今度は京都市内にＭＲＴが開設されたのですから、仙骨の動きがよくなるまで、短期集中という形で治良を受けてみてはいかがですか？」と言って頂き、ものはためしと週二回のペースで治良を受けてみることにしたのです。</p>
<p>◆短期集中治良でメキメキ良くなる</p>
<p>　二〇一一年七月より週二回の短期集中治良を始めました。すると三回目の治良を終えたときには、腰にはまだフラつき感があるものの、今までのフラつきとは何か違うものを感じ始めました。そして、短期集中治良九回目の八月初めには、腰痛がほとんどなくなり、調子も良くなり、シャンと立っていることができるようになってきました。　<br />そんなある日、少し良くなったからと思い、自転車に乗ったところ、大きく転んで身体を強打してしまったのです。ところが、私は八〇歳ですから、本当ならそのまま骨折してもおかしくないのですが、ほとんど無傷であることに大変驚きました。ＲＴの先生からは「まだまだ、本当に治っていないのですから、まずは、治すほうにエネルギーを向けてあげましょう。少し良くなっても前と同じようにしていたら、また痛めてしまいますよ」とお話し頂きまして、今までの意識の使い方では、また同じことを繰り返してしまうとわかったのです。<br />また、短期集中治良について「今まで治良間隔があいたときがあっても、ＭＲＴ梅田に通って仙骨のバイブレーションを高めておられたからこそ、ＭＲＴ京都での短期集中治良を受ける準備が整い、今回目覚ましい回復をされたのですね」とのお話を聞き、ほとんど歩けない状態の私がＭＲＴ梅田になんとか通うことができていたのは、頭でわからなくても、中真の自分が導いてくれていたからだと感じました。</p>
<p>◆八〇歳でも元気になる仙骨の力に驚いた</p>
<p>九月に入る頃には更に精神的に安定し、「脊柱管狭窄症」と診断されたことについても、今では全く気にならなくなっており、医者に言われた言葉に左右されることもなく、自分の感覚を中真にするようになっています。<br />ＭＲＴに出会う前は、八〇歳という高齢もあり「このまま駄目になってしまうであろう」と絶望の中におりましたが、メキメキと身体が元気になることを体験し、自分の仙骨の力に驚いております。症状はまだありますが、昔のようにそれに囚われて右往左往することはありません。「治ろう、治ろう」とする気持ちが囚われとなって、仙骨の動きを低下させていたのだと今の自分なら理解できるのです。自分の身体の症状に囚われることなく、かといって大切な自分の身体を乱暴に扱うことなく、頭の自分ではなく心地よいという感覚を大切にして、多くのことを理解して参りたく思います。<br />これからもＭＲＴに通いますので、今後共よろしくお願い致します。</p>
<p>&nbsp;</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>ＭＲＴららぽーと千葉の体験談を２件追加しました。 - TOPICS</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://mrt-jp.com/topics/info/20-000634.html" />
    <id>tag:mrt-jp.com,2011:/topics//2.634</id>

    <published>2011-12-19T21:40:06Z</published>
    <updated>2011-12-26T06:54:10Z</updated>

    <summary>ＭＲＴららぽーと千葉の談を２件追加しました。内容は最近の体験談のコーナーでどうぞ...</summary>
    <author>
        <name>アイディデザイン</name>
        <uri>http://mrt-jp.com/profile1.html</uri>
    </author>
    
        <category term="ＭＲＴからのお知らせ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://mrt-jp.com/topics/">
        <![CDATA[<p>ＭＲＴららぽーと千葉の談を２件追加しました。内容は<a href="http://mrt-jp.com/experience/">最近の体験談</a>のコーナーでどうぞ！</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>このまま車椅子になるかと思っていたほどひどかった坐骨神経痛が、ＭＲＴ治良を受けてすっかり良くなり、病気への不安がなくなった - 体験談のご紹介</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://mrt-jp.com/experience/post-483.html" />
    <id>tag:mrt-jp.com,2011:/experience//5.633</id>

    <published>2011-12-19T21:36:45Z</published>
    <updated>2011-12-19T21:38:51Z</updated>

    <summary>◆椎間板ヘルニアによる坐骨神経痛で動けなくなり、気持ちが疲れ果てていた一九九二年...</summary>
    <author>
        <name>アイディデザイン</name>
        <uri>http://mrt-jp.com/profile1.html</uri>
    </author>
    
        <category term="ＭＲＴららぽーと千葉" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="坐骨神経痛" label="坐骨神経痛" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="癌" label="癌" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://mrt-jp.com/experience/">
        <![CDATA[<div>◆椎間板ヘルニアによる坐骨神経痛で動けなくなり、気持ちが疲れ果てていた</div><div><br /></div><div>一九九二年頃、両親とも癌を患い、亡くなるまでの数年間、千葉県から埼玉県までの長距離を車の運転をして病院に連れて行くことがよくありました。当時、私は花屋に勤めており、仕事は楽しかったのですが頑張り過ぎてしまい、元々軽い腰痛があったのですが、自分の身体をだましだまし無理を重ねながら生活をしていたせいか、段々痛みが増していきました。そして、痛みに耐えかね、病院に行って診てもらったところ、「椎間板ヘルニアによる坐骨神経痛」と診断されました。</div><div>その頃まだ小学生だった娘の学校の役員集会で、腰痛に苦しんでいる私の姿を見た知人が、「私はＭＲＴという所に通っているのだけど、あなたも行ってみたら？」と勧めてくれました。しかし、そのときは、「場所も遠いし、自分は行かなくてもいい」と思い、記憶の中にしまいこんでしまいました。</div><div>その後も身体を酷使し続けたことで、腰から脚にかけての痛みが更に悪化し、あまりにもひどい痛みで、とうとう動けなくなってしまいました。そのとき、「今まで身体をこき使ってきたバチが当たったのだ」と思い、仕事を辞めました。そして、病院に行ったのですが、一件目の病院で背骨の辺りにとても太い注射を打たれて怖くなってしまい、違う病院に行くことにしました。次の病院では牽引をされましたが、痛む腰を更に引っ張られ、辛いばかりでなかなか良くならず、更に病院を変え、最後に行った病院では「手術をしてヘルニアの部分を削るという方法もありますよ。今のままでは爆弾を抱えているのと同じなのだから、放っておいてはいけない。ちゃんと病院に来なければ駄目だよ」と言われました。この言葉を聞いて怖かったのですが、手術はしたくなかったので、「リハビリを頑張ればきっと良くなるのだ」と信じ、歩くことも辛いほどの状態でありながらリハビリを頑張り過ぎて、ますます症状は悪化していきました。特に、夜になると一層痛みが強くなって眠ることもできず、毎日夜が来るのが怖くて仕方がないほどでした。</div><div>その頃の私は、ただもう「この痛みはどうしたら治るのか？」ということだけを考えていて、他のことを考える余裕がなくなっていました。気持ちがガチガチに固くなって弱っておりましたので、他人がなぐさめてくれる言葉を聞くことすら疲れてしまい、人に会うのもイヤになって次第に家で寝ていることが多くなりました。当時、家族の食事の仕度なども、一体どうやって行っていたのか覚えていないぐらい余裕がない状態だったのです。</div><div>そのような日々が続いていた一九九三年のある朝、目覚めたときに、ふと、以前知人から聞いていたＭＲＴのことを思い出し、最寄りの駅だけしか覚えていなかったのでもう一度ＭＲＴオフィスの場所を確認するために、ＭＲＴを教えてくれた知人に電話をしたところ、ちょうど海外旅行中で不在だったのですが、不思議なことに「もうＭＲＴしかない。今日は、絶対にＭＲＴに行くのだ」という感覚が、強く湧き出てきたのです。しかし、自分一人ではとてもオフィスまで歩いて行くこともできない状態でしたので、娘に頼んでついてきてもらい、以前知人から聞いていた最寄りの駅まで行って公衆電話からＭＲＴオフィスに電話を掛けてみました。すると、オフィスのすぐ目の前のビルにＭＲＴのオフィスがあることがわかり、無事にＭＲＴに辿り着くことができました。</div><div><br /></div><div>◆初回治良後、心の中のつかえが取れ、半分ぐらい治った感じがして、一人で歩いて帰ることができた</div><div><br /></div><div>初めてのＭＲＴ治良を受けた後、ＲＴの先生から『仙骨』のことを詳しく説明して頂きました。私は、それまでは不安で一杯だったのですが、最後にＲＴの先生から「大丈夫ですよ」と言われた瞬間、それまで心の中につかえていたものがスーッと取れて、ガチガチに張り詰めていたものがホッと緩んで、その場で泣いてしまったのです。治良後、その余韻に浸りながら『センコツくん』に乗っていたとき、痛みはまだあるものの、今までとははっきりと違う感覚を感じ、言葉では上手く表現できないのですが、何かもう半分ぐらい治ったように感じたほどでした。そして、一人で歩いて帰れる気がしてきたので、娘に先に帰ってもらい、一年振りぐらいに自分の足で歩いて家に帰って来ることができたのです。このときに、「今まで、自分の気持ちが、余計に身体を固くしていたのだ」と気付き、それ以来、二日に一回のペースでＭＲＴ良法を受け続けました。治良を重ねるに連れて薄紙を剥ぐように痛みが楽になり、夜も良く眠れるようになりました。それから一年以上通い続けていたのですが、当時通っていたＭＲＴオフィスが閉鎖されることになり、またちょうどその頃、体調が凄く良くなってきていた私は、友人の誘いでフラダンスを習い始めて夢中になり、段々ＭＲＴから足が遠のいていきました。</div><div>それから一〇年以上の月日が経ち、再び脚が少し痛み始め、「またあのときの苦しみが始まるのではないか...」と不安になっていた頃、自宅のすぐ近くにあるショッピングモール『ららぽーとＴＯＫＹＯ‐ＢＡＹ』の中にＭＲＴができたということを知り、「ＭＲＴに行けば絶対に大丈夫」と身体の奥底でわかっていたので、「再びＭＲＴを受けよう」と思い立ったのです。</div><div><br /></div><div>◆一二年振りに再びＭＲＴを受けて、原点に戻った感じがした</div><div><br /></div><div>二〇〇八年九月、ＭＲＴららぽーと千葉に予約をし、約一二年振りに再びＭＲＴ治良を受けました。アジャストを受けた瞬間、生まれて初めてＭＲＴに来たときのことを一挙に思い出し、何とも言えない懐かしさが溢れ、またオフィスで泣いてしまいました。何か、原点に戻って凄いものに再び出会ったような感じがして、奥底のほうから溢れ出てくる涙を止められなかったのです。</div><div>ＭＲＴ治良を再開してから、腰から脚にかけての痛みは一進一退しながらも順調に薄れていきました。そして、二〇〇九年の年明けに『霊止乃道』の御著書が発売されてすぐに購入し、御著書を読み始めてからは、ＭＲＴに出会ったことの意味をより深く感じられるようになりました。</div><div><br /></div><div>◆自分の気持ちが身体に顕れることに気付き、坐骨神経痛が消え、病気への不安がなくなった</div><div><br /></div><div>ＭＲＴを再開して数ヵ月後には、腰から脚の痛みはすっかり回復しましたが、もう一つ、私がいつも気になっていたことがありました。それは、「癌」のことです。亡くなった両親はともに「癌」だったので、周りの人達から「あなたも癌に気をつけてね」と常に言われており、もしかしたら自分もいつか「癌」になるのではないかと、心配しながら生きていたのです。そんなある日、公共施設で受けた乳癌検診で「癌の疑いあり」という結果が出てしまい、それ以降、毎年欠かさず検査を受けていました。そして、癌になるかどうかは考えても仕方のないことだと気にしないようになってはいたのですが、二〇一一年に親しい知人が癌になったことを知り、少なからずショックを受けました。なぜならその方は、ご自分が癌にならないように凄く気をつけて生活していた方で、私にもいつも「あなたはご両親が癌だから、気を付けてね」と言って気にかけてくれていた方だったからです。その人自身が癌になってしまったことで、私は「なぜ、あんなに気を付けていた人が...」とショックで、それと共に自分もどうなるかわからないという心配を掴んでしまいました。</div><div>ＲＴの先生にそのことをお話しさせて頂いたとき、「癌を研究している教授の多くが、自身も癌で亡くなられているのをご存知ですか？　それは、常に一日中、癌のことを考えているからなのですよ」ということをお聞きし、その一言がとても大きく私の中真に響きました。両親や知人の姿を実際に傍でずっと見てきた私は「確かにそうだ。執着するとそこに入りこんでしまうものだ」と、大変納得したのです。</div><div>思えば、私も一番最初にＭＲＴに来たときに、ホッとして涙が溢れ出て、半分治ったように感じたことも「不思議な経験だった」という理解に留まっていましたが、「それは自分の気持ちが身体に顕れるということなのだ」と繋がったのです。</div><div>それからは、今まで以上にとても気持ちが楽になり、「クヨクヨしてもなるようにしかならない。淡々と、無理なくいこう」と、自分の意識の方向性が大きく変わりました。</div><div><br /></div><div>◆痛みによって自分が変わることができたのだと気付いた</div><div><br /></div><div>ＭＲＴを再開してから、『月刊ＭＲＴ』や『霊止乃道』の御著書を拝読し、過去のことが少しずつ紐解け、自分が坐骨神経痛で動けなくなったことにも意味があったのだと感じるようになりました。痛くて寝ていた期間に、家族がいろいろとやってくれたりして、それまで観えていなかった家の中のことがよく観えたことに気付いたのです。これは、動けなくなってみなければ、わからなかったことでした。以前はそれだけ無我夢中だったのかもしれません。そしてＭＲＴに通うようになってからは、それまでの生き方を変え、行きたくない所には行かない、休みたいときには休むというように自分自身を大事にするようになり、痛みを繰り返すこともなくなりました。そして今は痛みを与えられたことで、自分がとても変わったことに気付き、痛みも悪者ではないのだと感謝する気持ちになっています。</div><div>いつも一緒にいる家族にはなかなかこういう話はしないものですが、ＭＲＴに来てＲＴの先生とお話ししていると、自分を冷静に振り返って観つめることができ、定期的にＭＲＴに来れることをうれしく感じています。</div><div>現在、主人も娘夫婦も孫も、家族皆がＭＲＴを受けています。そして今の私には自分の中に光が見え、「ひとつの山を越えた、大丈夫だ」という確信があります。</div><div>これからも、淡々とＭＲＴに通い、仙骨を通して理解を深めていきたいと思います。</div><div><br /></div> ]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>ＭＲＴに通い、脊柱管狭窄症による四〇年来の腰痛と、一〇年以上続いた耳鳴りが消えた！ 肺炎の大逆行を通して人体の完全性を識る - 体験談のご紹介</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://mrt-jp.com/experience/post-482.html" />
    <id>tag:mrt-jp.com,2011:/experience//5.632</id>

    <published>2011-12-19T21:30:51Z</published>
    <updated>2011-12-19T21:36:21Z</updated>

    <summary>◆四〇年来の腰痛と、一〇年以上続いた耳鳴り、三年前から始まった便秘で苦しんでいた...</summary>
    <author>
        <name>アイディデザイン</name>
        <uri>http://mrt-jp.com/profile1.html</uri>
    </author>
    
        <category term="ＭＲＴららぽーと千葉" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="中真感覚" label="中真感覚" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="耳鳴り" label="耳鳴り" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="肺炎" label="肺炎" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="脊柱管狭窄症" label="脊柱管狭窄症" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="腰痛" label="腰痛" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="逆行" label="逆行" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://mrt-jp.com/experience/">
        <![CDATA[<div>◆四〇年来の腰痛と、一〇年以上続いた耳鳴り、三年前から始まった便秘で苦しんでいたとき、ＭＲＴに出会う</div><div><br /></div><div>今から四〇年ほど前、会社勤めをしていた三〇歳頃から腰痛が出始め、年齢を重ねるにつれて痛みがひどくなっていきました。</div><div>六〇歳を過ぎた頃には、同じ姿勢を一〇分も続けていると腰に痛みが出てくるため、椅子に座っているときには頻繁に姿勢を変え、就寝時は寝返りを何度も繰り返し、そのせいで眠りも浅く常に寝不足の状態が続いていました。病院の診断では「脊柱管狭窄症」と言われ、担当の理学療法士からの指導でホットパックを腰に巻いての屈伸や、固くなった筋肉や関節のストレッチの後、指圧やマッサージを受けるといったメニューの治療を受けていました。</div><div>病院で治療を受ける傍ら、中国式鍼灸院にも通っていました。太い鍼と大きな灸を使う療法や、患部から血液を吸引器で吸い出す療法は麻酔を掛けないので強烈な痛みを伴うものでしたが、何とかして治したい一心で通い続けていました。</div><div>更に追い打ちを掛けるように、その頃から腰痛ばかりか耳鳴りも発症し、いつもたくさんのセミの鳴き声に悩まされてきました。また、六九歳のときには、大腸癌の手術をしたのですが、その後すっかり便秘がちになってしまい、それらの症状そのものがストレスになっていました。</div><div>しかし、様々な施術を受けても、一時的に痛みが軽減するものの完治までに至らず、もうこれ以上良くなることはないのかと、半ば諦めかけていました。</div><div>そのような日々を送っていた二〇一〇年の一二月、整形外科の待合室でいつものように治療の順番を待ちながら、本棚に置いてあった地域情報誌を何気なく手に取りページをめくっていたところ、上段の欄に載っていたＭＲＴの広告が目に留まりました。</div><div>そこには「何をやっても治らなかった方は、是非一度お試しを...」とのキャッチコピーが書かれており、何かピンと感じるものがあり、早速、その日のうちに近くのＭＲＴららぽーと千葉に予約を入れ、初回の治良を受けました。</div><div><br /></div><div>◆一回目の治良後、長年の耳鳴りが消えて驚き、四回目の治良後には四〇年来の腰痛が軽減</div><div><br /></div><div>初回の治良を受けて帰宅した後、耐えがたいほどの眠気に襲われ、久しぶりにぐっすりと深い眠りにつきました。そして、目が覚めてから、長年悩まされて続けてきた耳鳴りが消えていることに気付きました。その後、三～四時間経ってから再び耳鳴りが始まりましたが、一時的にせよ耳鳴りが消えたのは仙骨の治良を受けたことによる変化であると確信し、仙骨の動きが良くなればいずれ必ず根本から改善されていくのだと感じました。耳鳴りはその後も逆に強くなったり、再び弱まったりと波がありましたが、不思議と夜は熟睡できるようになったことからも、不安はありませんでした。</div><div>そうこうしているうちに、四回目の治良のときには、腰の痛みが楽になり、耳鳴りも次第におさまってきました。</div><div>更に、二～三日に一度だったお通じが、毎日出るようになりました。</div><div><br /></div><div>◆医者から「一生治らないタイプの肺炎」と宣告され、ショックを受ける</div><div><br /></div><div>腰痛や耳鳴り、便秘は改善してきたことを実感していましたが、ＭＲＴ治良七回目ぐらいの頃から咳や痰が増え始めました。</div><div>私は以前から肺炎になりやすく、医者に言われるままに抗生物質をよく飲んでいたので、このときも気になって病院で検査を受けたところ、「あなたの場合は、この先症状が軽くなることはあっても、一生完治することはない種類の肺炎です」とさじを投げるようなことを言われてしまいました。</div><div>現代の一般社会では、歳をとってから病気になった人が、肺炎を併発したことが切っ掛けで亡くなるという話しをよく聞くことがあり、また、昔からよく肺炎にかかって苦しんだ経験のある私にとって、「一生完治しない肺炎」という医者の言葉は少なからずショックでした。</div><div>ＲＴの先生にそのことをお話ししたところ、「肺の中は咳と痰でしか掃除できないのです。仙骨の動きが良くなって、身体の大掃除が始まっているのですよ」という説明をお聞きしました。頭では「そうか」とわかったつもりになっていても、その後も咳や痰の量は増える一方で、「もしかしたら命に関わる大きな病気なのではないか」という不安を掴んでしまっていました。</div><div><br /></div><div>◆二度の肺炎の大逆行で、心身共にスッキリ、腰痛や耳鳴りも、ほぼ一〇〇％近く改善</div><div><br /></div><div>その後、一〇回目の治良の後に、三七・五度の発熱がありました。それまで私は低体温症で、平熱が三五度台であったため、三七・五度まで熱が出ることなど滅多になく、あまりの苦しさで立ち上がることすらできなくなり、何日も寝たきり状態になってしまいました。肺炎の症状でここまで苦しんだのは初めてで、とうとう耐えかねて解熱剤を飲んだら、今度は体温が下がり過ぎてしまい、かえって調子が悪くなってしまいました。何とか歩けるようになるまで回復を待ち、ＭＲＴ治良を受けに行きました。ＲＴの先生にそのことをお話しすると、「熱が出せるようになったのは、細胞が若返った証拠です」と詳しく説明をしてくださいましたが、私は「そんな簡単なものなのか。そんなことを言われても、この苦しさは我慢できるものではない」と、まだ真に自分の細胞の力を信じることができなかったのです。</div><div>ところが、その後、旧正月である二月三日の新月をピークに、何か急に雲を抜けたような感じになって心身がスッキリ晴れやかになってきました。体温を測ってみると、三五度台だった平熱が何と三六・三度になっていました。このときに、「これが逆行というものか？」と思ったのですが、依然として痰の量は増え続けていたことと、大きな病気ではないことを確認する自信がついたこともあって、病院での検査を受けることにしました。診断の結果はいつもの「肺炎」で、癌などの大きな病気ではなくて安心すると同時に、ふと気付けば、腰痛と耳鳴りが、ほぼ一〇〇％近く消えていたのです。発熱の苦しみにばかり目が向いていて、腰痛や耳鳴りが消えてしまっていることにさえ気付きませんでしたが、身体は確実に良くなっていることがわかりました。</div><div>その後、一五回目の治良を過ぎる頃に、今度は三八度の発熱がありました。そのときには、もう不安になることはありませんでしたが、前回の発熱のときよりも身体は辛く、何もすることができず、ただ苦しみに耐えながら寝ているしかなく、何度も「死」を意識したほどでした。また、寝ている間、自分の呼吸がとてもヤニ臭く、そのニオイで気分が悪くなってしまうほどになりました。そのとき、「ああ、これは、過去に大量に吸っていたタバコのヤニのニオイだ。これは逆行だ」とハッキリ気付き、以前にＭＲＴで「咳と痰で肺の大掃除をしてくれている」とお聞きしたことが、「本当にそうなのだなあ」と素直に実感できたのです。そして、二〇回目の治良を受ける頃には、咳や痰は収まり、肺の掃除が終わって心身共にスッキリしたことを実感しました。</div><div>その後、体力の回復がとても早く、ＭＲＴに出会う前までとは比べものにならないぐらい元気になりました。</div><div><br /></div><div>◆肺炎の大逆行を通して、人生そのものを振り返り、元気になって再開した趣味の卓球では今までにない中真感覚を発揮！</div><div><br /></div><div>二度の肺炎の大逆行を経験して、病気と症状に対する理解が大きく変わり、それと共に、自分の生き方を振り返りました。</div><div>私は、元来、好きなことに熱中し過ぎるあまりに、自分の身体を顧みずに酷使するところがありました。特にここ一〇年ぐらい最も熱中していたのが卓球です。卓球は、常に集中力を要し、それにともなって身体を激しく機敏に動かし続けるスポーツで、いつも勝負を賭けて熱くなっていました。試合に勝つために、多少体調が優れないときであっても無理をして練習に出ていましたが、そのようにすることがまた楽しいものでした。しかし、年齢と共に無茶をしていることは自分でも薄々気付いており、今回も「若いときと同じようなつもりでいてはいけない。このままではいけない」と思いながらも無茶をし続け、肺炎にまでなってブレーキを掛けられていたのだということに気付きました。</div><div>過去、よく肺炎を起こすことはあっても、ここまで寝込むほど体調を崩したことはありませんでしたが、今回寝込んだことにより初めて、自分の身体の使い方や人生の歩み方について深く見直す切っ掛けを与えられました。</div><div>回復してからも卓球をしていますが、勝負というものに対するこだわりがなくなり、自分が良いプレーをできたかどうかという視点に変わりました。また毎回そこから何を学べたかに目が向くようになり、それからは不思議なもので、試合で勝ってしまうことが多くなったのです。勝とうという気持ちがなくなってしまい、肩の力が抜けたせいかもしれません。勝とうと思っていないのに勝ってしまうことが複雑な気持ちでもありますが、一緒に卓球をしている友人からは「プレーの仕方が変わった。一体どうしたのだ？何かやっているのか？」と聞かれるようにまでなりました。</div><div>卓球以外の場面でも、「自分が頑張らなければ」という力が抜けて、ほどほどのちょうど良い加減で生活するようになりました。</div><div>ＭＲＴに出会い、逆行を通して自分の人生そのものを振り返り、そして実際に元気になってきているという事実から、言葉では言い表せない深いものを感じております。</div><div>これからも、仙骨の治良を通して人体の完全性を識り、日々の現象から理解を深めて参ります。</div><div><br /></div> ]]>
        
    </content>
</entry>

</feed>

