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アトピー性皮膚炎と私の28年間
- ( 38歳 女性 S.K.)
- 掲載日:2010.06.29
私が初めてMRTオフィスを訪れたのは、1989年の6月ですから、今からちょうど3年半前のことになります。友達の家へ遊ぴに行った時「Sちゃん、これ読んでみる?」と『仙骨に無痛ショックを与えると...』の本を手渡されたのがMRTを知るきっかけとなりました。
パラパラと読み進めてみて思ったことは「ふん!こんな仙骨だかなんだか知らないけれど、骨をちょっと触ったぐらいで症状が消えてたまるもんですか」というものでした。
◆ずっと自分が嫌いだった
私は生後10日位からアトピー性皮膚炎が現れたということで、アトピーとの付き合いは28年間になります。
私が子供のころは、今のようにアレルギー症状の子供があふれているわけではなく、ましてや私のようにひどいアトピー症状の子供は学校全体で一人いるかいないか位の割合だったと思います。その原因を知りたいが為、あらゆる病院を転々としました。
大学病院や、あそこの皮膚科はいいわよと言われる病院を尋ね歩きましたが、どこへ行ってもきまリ文句のように言われてきたことは「小学校へあがるころにはなおりますよ」、「生理がくるころまでには大丈夫でしょう」「心配しなくても思春期になれば治りますよ」というものでした。そのころは私も親も頼れるのはお医者様だけだと信じて疑わず、大きな大学病院の先生の言うことなのだから間違いがあろうはずがないと思っていました。
しかし、一方では一向に良くならない状態をみて「この薬をつけていれば大丈夫と言うけれど、ちっとも良くならないじゃない」という疑問もふつふつ沸き起こってきました。が、その思いを打ち消すかのように「いいや、いつかよくなるだろう」と無理やり納得していました。
アトピーとは「何故だか原因がわからない」という意味だそうですが、私自身の体験から、非常に色々な要因がからまって症状を引き起こさせていると思います。普通の人が反応しないものまでも体と心が感じ取って強いかゆみを起こさせ、いったんかゆみが起きると自分自身がわからなくなってしまう状態になります。以前は全身にかゆみが起こると、部屋中を転げ回っているうちに気が遠くなってしまい、数時間後に気づくという事がしばしばありました。17、18歳のころにはよく「もう、死んで楽になってしまおうか」と考えたものです。
ですから、強い薬(ステロイド剤)をつけているときも「嫌だ嫌だ」と思いつつも、片時も手放すことが出来ませんでした。親も、アトピーが治ると聞けば、あらゆるものを手に入れてくれました。「今度こそは良くなるかもしれない」と期待をもっては思うようによくならず、気持ちが落胆して、しまいには気が滅入ってしまうこともしばしばありました。人が階段を駆け登って行くとき、私だけが奈落の底に落ちていくようで、体以上に心が苦しかったのを覚えています。
そんな経緯がありましたので、MRTの本を手にしたときも、「もう、裏切られるような気分になるのはこりごり」と思い、とても行く気にはなれなかったのです。
そのまま、数ヶ月の月日が流れましたが、ある時ふっとMRTの本のことを思いだし、「もしかしたら何かあるかもしれない」と思い直しました。そして100%のうち、2%位の期待を持って、MRTの扉を叩いたのです。
◆MRTか面白い!自分自身か面白い!
最初の治良後「あっ、気持ちが悪い」という状態になり、30分程椅子にうずくまって休ませていただきました。その後、オフィスを出て帰る道で「おかしい」と感じている自分がいました。治良の前は体が重たくて重たくて、足をひきずるように運んでいたはずなのに、終わった今、体が何故だか軽いのです。その日は電車に乗っていても、途中下車をせずに家までたどり着くことができました。このことは、それまでの私にとっては「何故なの?」と半ば信じられないような気のするできごとでした。
しかしその後の3年間は逆行らしい逆行は思い浮かびません。体の大きな変化といえる状態はそのときだけでした。
では何故治良を続けたのかと言えば、RTの先生がして下さるMRTのお話がおもしろくて楽しいと感じたからです。そして楽しい気持ちで通っていたら、いつの間にかその心の変化に伴って、体も徐々に楽になっていったということも確かです。
その後、MRTの奥にもっと入っていきたい、この心地よい世界にもっといたいという気持ちが高まり、中心会と自由自在教室に参加するようになりました。そして、MRTがおもしろいと思うと同時に自分自身がおもしろくなっていきました。毎回の自由自在教室には、多くの方が目を輝かせて参加していらっしゃいますが、私もその方たちに魅かれるものがありました。このころの私は、治良日以外にも、よくMRT本部ビルに立ち寄り、オープンルームで「センコツくん」に乗ったり、ノートを読んだりして過ごしました。
◆大逆行で起き上がれなくなって
スタッフ募集のポスターを目にしたのはそんな折りです。そして「MRT本部の中にずっといられて、内海先生のお膝下で学ばせていただけたら、自分はもっと楽になるかもしれない」という思いも重なってスタッフとして働きはじめました。
が、受付の仕事を始めて2ヵ月くらいたったころから、ものすごい勢いで逆行が出て来ました。全身の皮膚の皮がボロボロむける。体液が体中からにじみ出て臭くて仕方がない。昔の様に強いかゆみが襲ってくる。高熱が出る等々、何とかしなくてはともがけばもがく程苦しくなりました。
体を清潔にする為、お風呂に入らなければなりませんが強烈なかゆみと共にかきむしった痛みで歯をくいしばらなければ入れない。そのうち、何かにつかまっていなければ立っていられない、起き上がれない、という状態になってきました。
そして本部を退職し、実家に帰りましたが、症状がひどくなる一方で、一向によくなる兆しが見えません。「こんな思いを味わうんだったら、初めからMRT治良なんて受けなければよかった」と頭をかすめた事もありました。しかし行く所まで行ったとき、潮が引くようにサァーッと症状が消えていったのです。後から思えば、自分自身で「もっとひどくなるのではないか」と苦しみを思い描いて、その恐怖心を作り上げてしまったという事がいえます。
家に帰り、ふっと思ったことは、「あれ、おかしい」。前ならこんな状態になれば、お前なんて大嫌いだ。どうしてこの体はこんなにも私を苦しめる?という思いが沸き起こってきていたのに、その感情が出て来ない。自分に対する憎しみが消えていたという事です。
いつも私は、自分とケンカばかりしていました。内側の自分が左へいきたいと言うならば外側の自分は右へ行くという様に、相反する行動ばかりとっていました。全ての物事を「これは良い事、これは悪い事」と判断して、こんな状態になるのはお前が「悪い」からだと自分を責めてばかりいました。
そんな「思い」を吐き出すのは、体の症状以上に苦しいことでした。MRTに出会えたからこそ吐き出すことが出来たのだと思います。自分でさえも自分自身を信じる事を失っていましたが、内海先生の大きな存在で、自分自身に引き戻ることが出来ました。
◆MRTは自分自身を信じる道
アトピーの人はささいな事でも心に止めてしまいがちだと思います。かゆみを起こさせホルモン分泌を促して対処しようとしているようです。外因的要因よりも、内因的要因のほうが大きく作用しますので、ゆったりとして構え、あせらずこだわず、全てにおいてなすがままに身に任せていたほうが楽なのではないでしょうか。
長々と書きましたのも一人でも多くの方にMRTを知ってもらいたいと思ったからです。そして再びMRT本部スタッフに戻った私にとって何よりもうれしいのは、アプリカントの方々から「皮膚が随分きれいになってきたわねえ」と言われることです。
多くの方に支えられながらも早く本当の自分と出会えるよう、日々の生活を重ねてゆきたいと思います。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
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