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一歩間違えば、命をなくしていた事故から生きようとしている自分を知る
- ( 38歳 男性 T.M.)
- 掲載日:2010.06.29
◆MRTの帰り、トンネル内での事故
その出来事は、MRTを受け始めて、1年と5ヶ月、42回目のリーディングを受けての帰り道で起きました。毎回、私は富山から、名古屋まで車で片道6時間を掛けてMRTを受けているのですが、その日、2003年7月5日は、帰り道、東海北陸自動車道のサービスエリアで仮眠を取った所、二時間以上寝てしまい、インターを出て国道を1時間ほど走った午後7時ちょうど、岐阜県白川村地内の鳩ヶ谷トンネル走行中に反対車線から追い越しをかけようとした車が私の車線に出てきたのでした。至近距離であったため私が急ブレーキを掛けたところ、車がスリップして時計方向に回転して横向きになって止まり、そこへ、その反対車線から追い越しをかけようとした車が私の車の後部目掛けて衝突するとすぐに私の車から火が出たのです。私は何も持たずにすぐ車外に出て、両車線の後続車両を止めた後、相手車両から人が脱出してきたので安否を確認し、警察、消防に連絡をして、消火をしようと思いトンネル内の消火器を取り出してピンを抜いて車に向かいましたが、ガソリンタンクに火が回ったようで爆発が始まったので、あきらめて相手に逃げるよう促して私も逃げたのでした。まもなく消防車が到着し、消火活動に当たってくれましたが、私の車は全焼し、現場は約4時間に渡り通行止めになりました。相手は煙を吸っており高齢(80歳)でもあったため救急車で病院に運ばれ入院。私は擦り傷、打ち身程度であったので現場検証等で午前0時近くまで現場に残ることになり、警察車両で富山に戻ったのは午前2時過ぎでした。その事故では、眼鏡が衝突のショックで飛び、また首から下げていた携帯電話も飛んで、本当に身体一つで逃げたため、財布、免許証、カード類等の所持品一切を焼失したのでした。
◆あと9年では、自分は変われないと思っていた
事故当時に最初に思ったのは「仙骨はやる気だ」ということでした。他人事のようですが、自分自身は、フォトンベルトが到来する9年後までに仙骨のバイブレーションを高めることが間に合わせられなくて死ぬだろうと思っていました。事故の当日も、オフィスで、「30年近くも掛けておかしくしてしまったのだから、9年では足りない」などと申し上げていたのでした。
RTの先生からは「何年かの分が短い期間でギュッと凝縮して逆行として出るから、30年分は30年掛かって出る訳ではありません」という内容のお話を伺っていましたが、まだ自分のこととして受け止めてはいませんでした。
私は、28歳のとき、会社の検診で糖尿病と診断されて以来、10年の間「自分は、無理のきかない身体である」と思い込み、病気や将来の生活について、漠然とした不安を抱えながら生きてきました。MRT治良も不定期にしか受けていなかったこともあり、1年以上受けていても、これと言って目立った逆行は出ていませんでした。
しかし、1ヶ月くらい前からいろいろな逆行が出始め、眼窩が痛かったり、顎が痛くてご飯が食べられなかったりしました。でも、それが9年後に間に合うに足る現象だとは思えませんでした。
しかし、事故後、自分次第では次の瞬間に今までできなかったことも、できるのではないかと、思えるようになったのでした。仙骨は「こんな恐ろしい手も使うが君が望むのであれば納期は君の要望どおりにするぞ」と言っているように思えてなりませんでした。
◆思い通りに事故は起きた?
もう一つ思ったのは思念の現実化です。以前から車も眼鏡も携帯電話も新しいものにしたいと思っていました。事故により、確かに思っていたものは全て新しいものに変わりつつありますが、それはもしかしたら死と引き換えだったかも知れないのです。
RTの先生に、「良いも悪いも、想いは必ず現象化しますから、中真でないことを考えてはいけませんよ」と言われたことがありました。あさましいことですが「誰かがちょっと車をぶつけてくれないかな。そうすればタダで車が買えるな」と思った時期があります。確かにぶつけてくれたのですが、ちょっとでありませんでした。思った通り車が買えるだけのぶつけ方をされました。
事故現場で思ったことはもう一つあります。「何もかも失ったけれど、それはあとで取替え、あるいは再発行が利くものばかり。取替えの利かない自分の身体は残った」ということでした。実際、事故で眼鏡が飛んで夜でもあり歩くのにさえ不自由しましたし、携帯が焼けてすぐに家族に連絡ができませんでした。現金、カード類は財布ごと焼けました。でもそれらは全て大切なものには違いありませんが、後で復旧ができるものばかりでした。ブレーキ操作を誤ってスリップしたと思いましたが、側面に衝突された形になったから打ち身程度で済んだのであって正面衝突していて、腕や足を失っていたら、あるいは車のハンドルなどで挟まれて脱出できなかったら、いくら医者に再発行をお願いしても無理であったなと思います。
そして、警察の事情聴取の際にあれだけの事故でありながら双方に大したケガがなかったのは珍しいとも言われました。また、後続車両を止めて、すぐに通報したことも良かったそうです。あとは相手のおじいさんに声を掛けるだけでなく手を引いて一緒に逃げてくれていれば、完璧だったとは言われました。中真感覚を身に付けている先輩の方々なら事故そのものを起こされなかったでしょうが、以前の私でしたら、これだけのことさえできていたかどうかわかりません。とりあえず取替えの利かないものは残すことができました。
◆今後の自分の生き方
ほしいと思ったものは、なるべく早めに買おうと思います。今まではお金があっても何となく我慢していました。それが今回の事故の一因であったとも思えます。眼鏡など普段の収入の範囲で買えたはずで、お金を惜しんで先延ばしにしていたためにこのような恐ろしい目に会ってでも仙骨が実現させてしまったのではないかと思うのです。車も保険で保障される金額よりいくらか持ち出しになっても自分がこれならと思う車を買おうと思っています。
それまで自分は9年後に生き残れなくてもいいと思っていました。「じたばたするな、9年でそんなに変わるものではない」という内海先生のお話も、その通りだと思っていたはずでした。でも事故では、火が回ったとき、すぐに何も持たずに脱出しています。この事故から、本能的には、生きようとしているということを実感しました。もちろんMRTは生き残るために行く所ではありませんし、英会話教室のように興味本位で行く所でもないと思います。やはり縁があって自分が自分で求めた所である以上、名古屋に行くのは、まだ少し怖いけれども行くしかないのだと思います。
これは今回の事故と直接関係がないことですが、治良の前後にRTの先生に黙礼をします。そのとき、RTの先生は必ずこちらをじっと見ておられる。「これは武道の試合などでする、それと同じではないか」、それに気付いて、自分も礼のとき、RTの先生の目を見るようになったのは、五月ぐらいからであったような気がします。1年以上も気付かなかったのは本当に恥ずかしいことですが、逆行が出始めたのは、その後からだったように感じています。今はむしろ、テーブルでガチャンよりも、先生との黙礼のほうが大事なもののようにさえ思っています。身体を使うのは苦手ですが、中真感覚を磨いていくために、中真感覚の学びにももっと積極的に参加していきたいと思います。今後ともご指導のほど、よろしくお願い致します。
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