
◆三歳で発症したアレルギー性鼻炎
私の身体の不調は、三歳のとき北海道から九州の宮崎に移り住んだことから始まりました。その当時、私たち家族は父の転勤で引っ越しを余儀なくされていたのですが、宮崎に引っ越したときを境に突然アレルギー性鼻炎を発症し、それ以降、私は次第に慢性的な鼻詰まりとハウスダストに悩まされ続けることになりました。
◆鼻中隔湾曲症と蓄膿症の手術を受けるも、一向に改善されることがなかった鼻炎と鼻詰まり
三歳の頃に始まり一向に良くなる兆しのない鼻炎や鼻詰まりの症状は、小学生だった私を終始悩ませ続け、子供心にも、なんとかしてこの不快な症状を治す方法はないものかと、いつも思いあぐねていました。
更に中学に入学する頃には、脊椎側湾症との診断を受け、「もう少し側湾がひどくなったら、手術するしかない」とまで医者に言われたのですが、説明を聞いただけでも恐ろしい側湾症の手術だけは何としてでも避けたいと思う一心から、整体やカイロプラクティック、そして鍼や灸など、ありとあらゆる治療所に通いつめる毎日を送っていたのです。
そして高校生の頃には、アレルギー性鼻炎と鼻詰まりが高じて鼻腔に膿が溜まるようになり、「これらの症状は鼻中隔湾曲症に起因するので、それを治すには手術しかない」と診断され、医者に言われるがままに、鼻中隔湾曲症の手術、そしてそれに追い打ちを懸けるように、蓄膿症の手術を受けました。
それでも鼻詰まりの症状が改善されることはなく、その後も常に口で呼吸をする状態が続いていたせいか、今度は扁桃腺が腫れて熱を持つようになり、夜も深く眠れない状態が続いていました。
◆ストレスと過労で極限状態に陥り、そして自分を見失い...
時は過ぎ、私は大学に進学するため猛勉強に明け暮れる毎日を送っていたのですが、ある日ふっと、「勉強も進学も、もういいや!」という思いが自分の中から湧き上がり、その感覚のままに大学進学をあっさりとやめてしまいました。元々、私は絵や美術、そして音楽が大好きで、その方面に進みたいと願っていたのですが、学歴を重んじる家族や学校など、周りの期待に何とか応えようとして始めた受験勉強でしたので、大学に未練はなかったのです。そして高校を卒業と同時に、私は窮屈で居心地の悪かった実家を出ました。
相変わらず、慢性的な鼻の症状を抱えつつも、実家を出てやっと手にした自由と解放感に浸りながら、自分の望む道をまっしぐらに歩き始めた私は、二〇歳の頃、グラフィックデザインの仕事に就いたのです。
締め切りに追われる日が毎日続く中、自分が納得のいく良い仕事がしたいと思う一心で、身を削るようにして夜遅くまで仕事に没頭する日々が何年も続きました。
その当時、仕事のストレスと過労で何度も倒れるほどに極限状態に陥っていた私を見かね、「もう無理をしなくてもいいから、僕が君の分も働くから...」と言ってくれたのが今の夫でした。その一言に救われた気がして、今から七年前(二〇〇三年)、三四歳のとき、私は専業主婦になったのです。
◆自分の中から湧き上がってくる得体の知れない何ものかに突き動かされて...
仕事を辞め、苦しい状態から解放された私は、本来の自分を取り戻せるはずでした。
ところが、「みんな頑張っているのに、私だけが家でこんなにゆっくりしていていいのだろうか? もっと頑張らなければ、人並みの生活を送ってはいけないのだ。こんな私は生きている価値はないのだ...」との思いがどんどん募りゆくばかりで、私はまたしても、仕事をしていた頃の自分と同じように、不安と焦りの狭間で自分を追い込み始めたのです。
そして、仕事をしていない自分に存在価値を見出すことができなくなった私は、その穴埋めをするかのように、次第にアルコールに依存するようになっていきました。
その一方、「今、本当のことを識らなければ大変なことになる」という得体の知れない何ものかに突き動かされ、その正体を突き止めるべく、本屋に行ったり、図書館めぐりをしたり、インターネットで調べたりと、答えを探し求める日々が続いていました。
しかし探しても探してもその答えは見つからず、悶々とした日々を過ごしていたある日、友人からの紹介でMRTの治良を受けることになったのです。
◆一年間にわたる鼻汁と痰の排出後、三五年間悩み続けたアレルギー性鼻炎が消えた!
二〇〇八年四月、初めて治良を受けた後、「こんなに凄い治良が世の中にあったのか! これは凄い!」と、言葉にならない感動を覚えた私は、それから夢中になって治良に通い始めました。
一回目の治良の後、今まで経験したことがないほどの強い眠気に襲われ、二回目の治良を受けたときには水分が異様にほしくなり、食事をすることも忘れて、乾いたスポンジが水を吸収するかのように、来る日も来る日も水分を摂り続けました。
発熱と眠気とだるさが相まって、一日中眠っていることもしばしばでした。
また、治良を受け始めて一ヵ月目から始まった鼻汁や痰の排出は、これでもかと思うほど、それから一年余りにわたって続きました。
その後、三歳の頃に端を発したアレルギー性鼻炎や鼻詰まりの症状がぴたりと消え、鼻でスースー呼吸ができるようになったことに、MRT良法の凄さを実感したのです。
三歳の頃から患い、鼻中隔湾曲症や蓄膿の手術を受けても一向に良くなることがなかった三五年間にも及んだ症状が、MRT良法を受け始めてから僅か一年余りで消えてしまったことの感動は、言葉で言い尽くせるものではありませんでした。
また、治良を重ねるごとに味覚や臭覚が敏感になり、自分の細胞のあらゆる感覚が呼び覚まされ、それと共に、本来の自分が少しずつ蘇ってきていることを実感するようになってきたのです。
◆アルコール依存からの脱出!
治良を受け始めて半年が過ぎた頃から、アルコールの量が次第に減り始めていました。それと同時に、仕事に没頭していた頃の過去の自分は相当無理をしていたのだということに、私はようやく気付き始めたのです。
それから更に半年余りが過ぎたころ(四〇回目を迎える頃)、ふと、お酒をやめてみようと思い立ち、それっきり二度とお酒を口にすることはありませんでした。
そして気が付けば、アルコールで疲れ切っていた肝臓の痛みもいつの間にか消えてしまっていたのです。今にして思えば、アルコールに頼るのではなく、頼るべきは自分の中真であることを、そして無理することなく、自分の細胞の声を聴いて自分を大事にする生き方こそが本来の生き方であることを、肝臓が痛みを出すことによって私に教えてくれていたのだと思います。
◆ずっと探し求めていたもの...それは「霊止乃道」
治良五〇回目を迎える頃には、あんなにひどかった生理痛や貧血もなくなり、それどころか生理が来る度に、言いようのない至福感に満たされるようになってきたのです。
それは私にとっては思いもよらぬ自分の変化であっただけに、ますます仙骨の凄さを実感するようになりました。さらに、治良を受け始めて一年が過ぎた頃に発刊された『霊止乃道』のご著書を拝読させて頂いたことにより、MRTに巡り合う以前、私が必死で探し求めていた「今、本当のことを識らなければ大変なことになる」という、内から湧き上がってきていた得体の知れない何ものかの正体こそは『霊止乃道』であったことを確信するに至ったのです。
そして、「ああ、もう自分は大丈夫だ。このままこの道を歩んでいけばいいのだ」と、心の底から思える自分自身の中真に従い、これからも仙骨を調えつつ理解を重ね、坦々と霊止乃道を歩んで参ります。