
◆交通事故で車にはね飛ばされ、フロントガラスが割れるほど肩を強打する
私は長年、音楽の教師をしていましたが、定年後の二年間は、のんびりと海外旅行を楽しんだり、国内外を問わず好きなコンサートを聞きに、あちこち飛び回っていました。
そして、「よし、これからピアノを教えながら、好きな音楽を中心にした生活に入っていこう」と決心した矢先、横断歩道で車にはね飛ばされてしまいました。ボンネットに乗り上げた私は、フロントガラスに肩から激突し、その衝撃でフロントガラスがクモの巣のようにひびが入って割れてしまったほどでした。そして更に二メートルほど飛ばされ、道路に放り出されたのです。
救急車で病院に運び込まれ、レントゲンの結果、フロントガラスに強打した肩の骨はものの見事にグシャッと潰れたように折れ、頚骨は衝撃で側湾してしまっており、即入院となりました。
それから二ヵ月後に退院しましたが、ピアニストにとっては致命傷ともいうべき左腕が上がらなくなり、ピアノを弾く際、左手で一番多く弾く基本の『C』のコードである「♪ド・ソ・ミ・ソ♪」が弾けなくなってしまったのです。
それでも私は音楽との関わりを諦めることはできず、好きなコンサートに行ったり、第九のコーラスに参加するなどして、好きな音楽と関わり続けていました。
七〇歳のとき、中国(広州)旅行の帰りの飛行機の中でトイレの故障を見つけた私は、スチュワーデスにそのことを知らせました。どんなものかと気になって作業するスチュワーデスの様子を後ろから覗き込んでいたところ、そのスチュワーデスがふいに立ち上がったため、その瞬間、私は後ろに大きくのけぞってしまいました。そして、バランスを崩し背中から倒れ込んだところがちょうどカーテンで区切られたギャレー(台所)でしたので身体を支えることができず、そのまま思いきり引っくり返ってしまい、頭と腰をいやというほど打ちつけてしまいました。
更に七一歳の夏、イタリア旅行に行った際には、大風邪をひいてしまいました。
日本に帰ってからは、とにかく早く風邪を治したい一心で、病院をいくつも変え、三日おきに違う薬を飲んでみましたが咳と喉の痛みは一向に良くならず、食事もまともに摂れないまま、寝たきりの状態が一ヵ月間続きました。
そのときに飲んだ薬の副作用でカルシウムがどんどん溶け出してしまったようで、七二歳のときに、医者から「骨粗鬆症」と診断されて「なんだか歩きにくいな」と思っていたら、みるみる間に腰が曲がっていきました。
そんな状態でしたので、好きなコーラスでも、胸を張って立っていることが辛くなってきて、とうとう胸が詰まって発声ができなくなってしまいました。
実はこのコーラスの指導をしてくれていたのは私の元教え子で、とても厳しい指導をすることで有名な人だったのですが、さすがに私には厳しいことが言いにくいと察して、自ら辞めることを申し出ました。
それでも、何とかして背骨が伸びて以前のような姿勢に戻りたいと思い、医者が薦めるままにコルセットを作ってもらいましたが、良くなるどころか作り直す度にどんどん悪化していきました。良い医者がいると聞いては藁をも掴む思いで訪ねることを繰り返し、医者に言われるまま三回もコルセットを作り直し、どんどん頑丈で大きなコルセットになって、着けると腰から胸辺りまでガッチリと固める状態で過ごしましたが、背骨はどんどん曲がっていきました。
そして七四歳のとき、歩行中に足が絡まって二回も転んでしまい、医者からは「痛いときは歩かないようにしなさい」と言われ、それからというものはほとんど歩かなくなってしまいました。
以来七五歳までの三年間、寝ているとき以外、一日中コルセットを着けたままの生活を続けていました。
そのような状態でも好きな音楽会だけは何とか参加し続け、東京や長野まで聴きに行っていました。
しかし、昨年末、大好きな指揮者が体調不良で指揮を降板されたとき、とうとう私も精も根も尽き果ててしまい、外出する気力もなくなり、「いったいこの先どうなってしまうのだろう」と不安な日々を送っていました。
◆元気な三人連れの観光客(霊止乃道参加者)に勧められMRTに
そんなある日、気分転換に出かけて行った道後のお煎餅屋さんで、東京から来たという三人連れの観光客に会い、その場で話が弾んで意気投合し、一緒に喫茶店で話を聞くことになりました。
その三人は「明日、講演会(霊止乃道講話)があって、それを聴きに東京から来ているのよ。とにかくMRTという治良法があるから行ってみなさい。私達も地元で通っているのよ」と熱心に薦めてくれました。私が「MRTって何?」「どんな治良法なの?」と聞いても三人は「ここでいろいろ説明してもわからないと思うから、とにかく気楽に行ってみなさい」と一点張りでしたが、余りに熱心に、しかもみんな満面の笑顔で薦めてくれましたので、それならとにかく行ってみようと思い立ち、二〇一〇年一月一五日にMRT愛媛を訪れたのです。
◆一回目の治良後、身体中がポカポカと温かくなった
一回目の治良を受けるとき、RTの先生から「コルセットを早く外せるようになるといいですね」と言われ、私は「何ということを言う先生だろう」ととても驚き、思わず「そんなことしたら、腰が痛くて一歩も歩けませんよ!」と言ってしまいました。
大きく腰が曲がっているので治良台(MRTテーブル)に乗って上向きに寝ることさえ大変で、「あっ、痛っ、痛ったった!」を繰り返しながら、大きな枕を頭の下に置いてもらい、やっとのことで上向きの治良を受ける体勢になりました。
コトッという音がしただけの一瞬の治良で痛みも全くありませんでしたが、治良後すぐに身体中がポカポカと温かくなり、何だか気持ちも良くなって、とにかく続けてみようと思いました。
RTの先生に「歩けないのなら、家からMRTオフィスまでそんなに遠くないのですから、毎日『センコツくん』に乗りに来なさい」と言って頂き、私も家にこもっているとますます気が滅入ってしまうと思い、毎日『センコツクくん』に乗りにMRTオフィスまで通うことにしました。
◆『センコツくん』に乗ると背筋が伸びて視野が広がる
二回目の治良後に『センコツくん』に乗ると、乗っている間は背中が痛いのですが、降りたときには少し背筋が伸びて前方が見えるようになっていました。それからは、定期的に週二回の治良を受け、毎日MRTオフィスに行っては『センコツくん』に乗るのが日課となり、そのうち腰の痛みがピタッと止まって歩くのが楽になり、思わず「やった!」と叫びたくなるほどうれしくなりました。
しかし、一月二二日(四回目の治良後)、家で着替えているときに尻もちをつき仙骨をぶつけてしまいました。「病院に行ってレントゲンを撮ってもらおうか」とも思いましたが、結局、病院へは行かず、翌日、MRTに行って治良を受けたところ、痛みは半減し楽になったのでホッとしました。
六回目の治良のときには、尻もちをついたときの腰の痛みはまだ残っていたものの、身体は少し軽くなっていました。特に『センコツくん』に乗った後は、背筋が伸びて視界が広がることを実感し、少し希望が湧いてきました。
それでも、毎日毎日、背中のあっちこっちが痛くなったり、また、肩や腰まで痛くなったりするので、次々にその痛みが移動することが辛くて、RTの先生に「この痛みはなんとかならないでしょうか?」と訴えたこともありましたが、RTの先生より「症状が悪化するときの痛みは、同じところの痛みが段々増してくるのですが、治っていくときの痛みは必ず出たり引っ込んだりすること、痛い場所が移動することが特徴です。痛いのは辛いでしょうが、治すために出ている痛みですから心配いりませんよ。この痛みでどんどん修復作業をはかどらせていることがわかりますよ」と言って頂いた言葉に、「辛いけれども頑張るしかない」と自分に言い聞かせました。
◆背筋が伸びて相手の顔を見ながら話せるようになった